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28年目のパームツリー

EPYにハマッていて常時クーラーボックスに50本は持っていた。EPYはエクタクローム64Tというコダックのタングステンタイプのカラーリバーサルフィルムで色温度3200K前後の光源が基準の色再現設計になっているから、昼光下で撮ると青く写る。ISO感度が50から64に変更されたとき発色が若干マゼンタ寄りにシフトしたが、僕はそれにCC5Mというフィルターをかませていた。ほのかにマゼンタが乗る感じが好きだったのだ。

そしてその色にはマリーナの景色が似合う気がして、上智大学でピーター・ミルワード先生のお手伝いをしていたNorikoさんにモデルをお願いし逗子まで来てもらった。

いまはリビエラプラザになっている場所はその頃はまだシーサイドカフェで、そこから海方向に抜ける道がパームツリーを撮るのに良いような気がした。日が傾き始める前にはそこに着いてバッグからプラナーT*50mm F1.4をつけたコンタックスSTを取り出した。道にパームツリーのシルエットが落ちているから撮影のタイムテーブルの結構後ろのほうだったはずだ。

時期は1993年の夏だったと思う。いまなら撮った写真に撮影日時が記録されるから忘れようもないが、なんとなく「きっとあの頃だよな」というおぼろげな感覚がそれはそれで結構好きかもしれない。スリーブをたどりながら思い出の痕跡を探すと、その時を手繰り寄せる楽しみを感じるからだ。

手繰り寄せるといえば、僕は未練がましいやつで学生の頃お付き合いした彼女をここに連れてくるつもりがそれが果たせなかったことを10年以上もずっと引きずっていた。あの頃彼女を撮ろうと思い描いていた写真をどうしても実際に撮ってみたかったのだ。

Norikoさんを撮ったのはこの夏とこの年のクリスマスの2回だけ。麻布十番にあったプロテクのラボでCBプリントに焼いてプレゼントしたら喜んでもらえた。当時は麻布に住んでいたのだがテレ朝通りに堀内カラー、六本木通りをアークヒルズ方面に行く途中に日本発色があって僕は堀内と日発をよく使ったのだけれど、CBプリントは十番のラボに出すことが多かった。プリンターとのコミュニケーションが良かったのだ。

それ以来連絡を取っていないからNorikoさんの手もとにプリントが残っているかどうかわからないけれど、そのとき喜んでもらえて嬉しかった。写真は撮る側の気持ちを表現するものもあれば撮る側の気持ちとは無関係に写真それ自体が別の意味や価値を持つことがあって、そこが僕は面白い。

2020年12月、暮れも押し詰まった頃、同じ場所に女優の若尾桂子さんと出かけた。写真を撮らせてもらうために。

若尾さんは僕が6年ほど前に観た、大好きな「はちみつシアター」さんの舞台「ロミミ」に客演で主演していて一目惚れした役者さんだ。

僕にはある興味があった。28年前に撮ったあの場所で写真を撮って、それで28年前より写真が撮れなかったらどうしようという絶望の予感。同時に、28年という時を経て自分の人との向き合い方と写真への向き合い方とが、多少なりとも良き方向に変わってきたのではないかという淡い期待。恐怖と期待が入り混じったことが僕は好きで写真を撮るときはいつもその2つが隣り合わせだ。

逗子駅で待ち合わせ、まっすぐマリーナへ向かった。使い古したドンケにはコンタックスではなくて、サンディスクのコンパクトフラッシュを挿したキヤノンのデジタル一眼レフとシグマの50mm F1.4が入っていた。

28年前に果たせなかった想いを手繰り寄せるように撮った。写真の季節は、夏から冬になった。道にパームツリーのシルエットは落ちていない。

28年、かかった。

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