ずっとむかし西表島にいったときのこと
大昔に一度だけ訪れた西表島のことを思い出した。
幸い沖縄がアメリカから日本に変換されて数年経っていたから
パスポートなんかはいらなかったけど、当時はまだ円と並んでドルが通貨として普通に使われていたんだよね。
それよりもみんな大好きビールのこと。ビールも国産ブランドより、クアーズやバドワイザー、ミラー、プリモなんてアメリカンが主流だったはずだ。
スクリューキャップの小瓶が珍しくって、滞在中はほぼプリモとクアーズばかりを飲んでいた。
関係ありそうでないけどビールつながりで日本では珍しかったルートビアも初体験だったな。、
信じられないかもしれないけど、那覇の放出品の店では、使用済みのバズーカ砲が売っていた。
今思えばなぜ即、購入しなかったのか我ながら疑問。
当時はまだ規制が緩かったから、持ち帰ってこれたのになぁ。
惜しいことをした。
那覇で全日空から南西航空に乗り継いで、石垣島経由西表行きとなるコースそのものは、今でもそう変わらないのだろう。
ついでに言っておくと飛行機は国産の名機YS11。
恐ろしく小さくて、「これ大丈夫なの」ってくらい不安だったことを覚えている。
まぁ結果としては少々の遅れはあっても無事に石垣空港に到着したわけだが、その空港がすごかった。
それはもうなんと言ったらいいのだろう。どう見たって田舎のJRの駅。
なにしろ手荷物受取のオーバル状のターンテーブルが長円部分で、3、4mほどしかなかったんだから、笑える。
果たしてターンテーブルを設置する意味があるんだろうかとしばし悩んだものだ。
飛行機も小さければ搭乗者も少ないというか、観光での旅行者はボクひとりだけ。
いや信じられないかもしれないけど、そうなんだって。
あとはみなさん地元の方や仕事関係と思しき人たちばかり。
で、皆さん出迎えの方々やらご自分の車やらに乗り込んで。
取り残されたのはボクだけ。
これから西表島行きの港へ向かうわけなんだけど、
これからがまた大変なことに。
とここまで書いたところでお仕事のため、ちょこっとインターバル。
続きは次の機会に。
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