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Steve Lacy /Disposability1965 (JAZZ ESSAY 4)


先日、Steve Lacyが亡くなったと、朝日新聞で報道されていた.僕は、朝日で報道された事に驚いたが、その記事を見ながら、まるで、カミュの小説のように、何も無かったかのように、『そうか・・・』といって新聞を閉じる自分を見ているような不思議な感覚がした.彼の死はまるで、小説の中の1シーンのようだった。その死が報道された頃、僕は、彼のDisposabilityという、アルバムを手に入れたところだった.それは、1965年、Roma録音で、Albelto RomanoとKent Carterとの三重奏のアルバムだった.そのサウンドは今聴くと、実に懐かしく、また、新鮮でもあった。これらの演奏を当時はニュージャズと呼んでいてその頃の彼の録音には、他に、Carla Bleyと競演した、Jazz Realitiesや森と動物園などがありました。.もう、このサウンドを世の中で生で耳にする機会は滅多にあるものではないと思う.僕が初めて彼のレコードを聴いたのは、高校時代に毎日通っていた、明大前のジャズ茶房、マイルスでだった。そこの彼のReflection,Steve Lacy plays Thelonious Monk (Prestige New Jazz)というアルバムがおいてあったのだ僕はそれを何回かリクエストしたことがあった.プレステージのその頃のアルバムデザインはたいした事は無いのだけれど変に気になるデザインがありました。.何の変哲も無い1950年代のただの風景だったり、普通の日の当たり前な日常、それがブルーだったり、グリーンのフィルターをかけて印刷されている.その中に50年代の空気と光が閉じ込められているのです.代表的なのは、Teddy CharlesのCoolin'や、Miles DavisのMilesがあります。Reflectionも公園の池にポチャンと石を投げ込んで出来た波紋の写真にグリーンのフィルターをかけたものですが、それがまた、永遠を感じさせるのです。どうもこの手のアルバムデザインに僕は弱いような気がします.
  そうして、大学時代、Steve Lacyが日本にやって来たのです.コンサートは吉祥寺の曼荼羅で行われました.僕もそこに駆けつけました.ソロの演奏が始まりました.演奏の途中の曲で急に彼は鋏を取り出すとチョキ、チョキ、鋏を鳴らし始めました。びっくりしました。それは、まるで空間を切って行くような、それでいて、切り取った空間とソプラノサックスでコラージュをしているようにも見えました.僕は当時気に入っていた、彼のLapisという、アルバムを思い出しました.サウンドコラージュが実に詩的で、文学的なアルバムです.僕はいつも彼の演奏を聴いているとフランスの詩人、Francis Pongeの詩を思い浮かべるのです.特に,"物の味方”という詩集のなかの蝋燭などはその光自身とそれが映し出す、沢山の影など,物の味方がとても近いものがあると思うのです.演奏が終わって持参した、Don Cherry とのアルバム、Evidenceにサインを求めると、実に恥ずかしそうに小さな字でサインをしてくれました.あまり、サイン等求められた事が無いのでしょう.ソニー・ロリンズのサイン等とは全然違いました.でも、こういう演奏をずぅっと続けて行くのは並大抵の努力では出来ません.彼も、一時期、恥ずかしい事だけど、万引きをして暮らしていた.と述べていました.胸が痛くなります。彼はずぅっと一人で戦って来た兵士のようです.そうして、今、彼は戦場を離れ、横たわっています.その姿はきっとランボーの詩の様に美しいものだと思います.

2006年 12月24 日16 時 1分 

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