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努力がなぜ尊いかのか/魂の成長/ホロライブ・獅白ぼたん

水星の魔女は終わってしばらく経ちますが相変わらず空き時間にはガンプラを作成していてブログ更新は滞っています。今回は下記のネット記事(まとめサイトですが)を見てタイトルの件を書いてみようかなと思いました。

獅白ぼたんさんが出たCRカップの記事になります。
最初に書いておくと僕は肝心のこの配信をアーカイブ含めてまだ見れていません。「見てもいないのに書くな」というのもありますが、獅白ぼたんさんに焦点を当てるというよりは努力という漠然としたものについてどんな価値や意味があるのか、というのが記事を書こうと思ったきっかけです。

■概要

リンクを開かない人もいるかと思うのでざっくり概要を書くと、ストリートファイターの大会に出た獅白ぼたんさんが大会で負けた際に泣いたという感じです。配信者生活も長いのにこれだけ号泣するのは殆ど見た事が無い、練習頑張ってると聞いてたから余程悔しかったんだろう、という様な内容です。

■努力という掴みどころのないものの価値

Googleで「努力 価値」で検索した際に出てきた上位1位2位3位のリンクを貼りつけます。

多くの場合努力は「成果」と対になって語られる事が多いと思います。その中で「報われる」「報われない」「報われるとかどういうものではない」「そのプロセスで知れる事が多くある」といった事が話されます。

これから書くのは少しスピリチュアルな内容ですが、僕は努力の価値は「魂を成長させる」事にあると思っています。成長は強くするであったり、磨き上げるという表現でも良いかもしれません。


努力についてまず定義すると、辞書などではこういう風に書かれています。「力をこめて事をすること。あることを成し遂げるために、休んだり怠けたりすることなく、つとめ励むこと。」
つまり休みたい時に休まず、怠けたい時に怠けず、ある事を続ける事という感じでしょう。今日は疲れているから休もうかなという時に休まない、今日はいいか、という時にもやる。一言で言えば「楽をしない」という事かもしれません。

努力するという事にも色々な側面のものがあります。
多くの場合は技術が向上したり、上手くいけば何かを得られたり、付加価値が生じる事の場合が多いと思います。その為努力を語る際に成果や見返りといった事が”余計なものとして”語られるのでしょう。スポーツであればスキルが向上したり体力が向上したり、勉強であれば知見や知識が増えたり等、キツさと引き換えに何かを得ています。更にその延長線上に成果が存在して、プロのスポーツ選手になったり、良い大学に入ったり、良い会社に入ったり、逆に入れなかったり成れなかったり、という感じです。

この時に得られるスキルであれば、それは努力という行為そのものよりもそこで行った行動にスキル向上が伴います。勉強による知見や知識の向上も、努力というものから生まれるのではなく、勉強という行為によって知見や知識の向上が発生します。

努力というものは言ってみればモチベーションに近いもので、ガソリンの様なものです。

車そのものを動かすのはエンジンや車を構成する多くの部品が可動する結果です。ガソリンではありません。根本要因へ辿っていけばそこは繋がっていますが直接的な繋がりではありません。
更に言えば、より速い車、より頑丈な車、より運転しやすい車を目指した時にそこに直接関係してくるのは基本的にはエンジン等の部品や、素材だったりします。ガソリンそのものは車を早くする主な要因にはならない感じです(ハイオクとかそういうのはありますが)。

努力はこの車にとってのガソリン的なポジションにあります。
人で言えば身体をコントロールする、脳の様なもので、心でもあります。楽をしたい時にしない、というのは心が自然と楽をしたいという反応をするのに反発して心をコントロールする、という自分自身の制御を図る行為です。

心というと自然現象的な範囲の中に含まれる感じなので、この心の部分を制御するのは更に深いところにある魂的なものなのかなと思います。

だいぶスピリチュアルな内容になってきましたが、この自分というもの、肉体を制御する一番深いものが魂だとすれば、努力というものはその魂をより自分自身が思うように動かす為のトレーニングの様なものです。


■冒頭の記事

繰り返し書きますが、僕は配信を見ていないので不確実性はあります。
獅白ぼたんさんが大会の試合で負けた際に泣いたのは努力をしていたからというのは僕はあると思います。
勝負事では勝敗が出れば明暗がハッキリと分かれます。勝つための練習を普段の生活に組み込むのであれば、他の時間を削ってそれに充てなければいけません。その時点で得られる確証のないものに対して代償を支払っています。その代償を払うに値する動機というのは色々なものが考えられます。例えば「勝ちたい」「負けたくない」といったものもあると思いますし、今回の様にチーム戦であれば「負けて迷惑をかけたくない」というのは人によっては最も大きな動機になったりします。その動機が努力の源泉になって、自分自身に「楽ではない」選択を選ばせます。

そんな楽ではないルートを選んでまで求めた結果を得られなかったとなれば、様々な感情が堰を切る様に発生して溢れてしまって泣くというのは自然な現象と言えるでしょう。

例えば、3年間練習に練習を重ね、甲子園に出場した高校生が自分が成果を出せなかった事で敗退してしまったとしたら泣いてしまう可能性は高いと思います。そういったシーンをテレビで何度か目にしてきました。今回の獅白ぼたんさんの件は記事を見て、それに近いものなのかなという印象を抱きました。


獅白ぼたんさんについてはさくらみこさんや大空スバルさんと比べると配信を見た回数というのは全然少ないです。ですがホロライブのホロメンの中では非常に好きなホロメンの方の一人です。変な評価基準ですが、僕はファンの人が幸せそうだなとか楽しそうだなという感じのホロメンが好きな傾向にあります。そういう意味で言えば猫又おかゆさんや、博衣こよりさんや、兎田ぺこらさん等もそういう動機で良いなと思ったホロメンで、獅白ぼたんさんもそういう動機でチャンネル登録して、配信していればみこちやスバルちゃんと被っていなければとりあえず開いて視聴する感じです。
しっかりしている感じですが可愛らしさが際立っていて非常に魅力のある人だなと思います。

■努力の価値

思ったより長々と、しかもわかりにくい内容で書いてしまいましたが、結論を言うと努力の価値は魂を成長させる事にあると思います。副産物として様々なものが得られますが、本質的には自分というものを動かすガソリンみたいな魂を成長させたり、質を高めたり、という部分にあると思っています。

ただ難しいもので、生きていく上では別に必須ではないとも思っています。努力しなくても生きてはいけますし、幸せになる事もできます。

ただ、人として比較をした場合に目に見えない明らかな差は出ると思います。

例えばプロの格闘家を前にした時や、明らかに体格的に強いであろう人と対峙した際に本能的にその人の強さを感じ取って優劣が発生したりします。学生であれば喧嘩が強いとかそういうのもそうです。
同じ様に努力によって魂が磨かれた人というものも、何となく僕らはそれを感じ取ってその相手の評価を高くしていたりもします。


本記事は努力を推奨するものではないですし、「皆も頑張ろう」という様なものでもありません。なぜ尊いのかには直接的には言及していません。あまりにも漠然としたものである努力という不明瞭なものについて僕はこう思っている、という内容になります。



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