見出し画像

インドMMAに触れた時の事②

こんにちは、竹内です。
今回は、自分の様な無名ファイターが
どの様に想定して海外の団体に交渉したか?

セールスポイントと主催者側に立った交渉を
心掛けて交渉しました。


私の当時のセールスポイント
① 戦績が激しく良くない事を逆手に売る。

 戦績がいい事が、セールスポイントになるのは
トップ団体と考えました。SLFの様な、成熟中の
団体には、インド人のスターが必要でその場合
実力差が有ると、興行全体の徐々な盛り上がりが
無くなる。当時負けは有っても全て判定の
戦績を逆手に宣伝しました。
又、相手は安く試合をマッチアップ出来ます。

② 日本人である付加価値
 日本人である事が、世界中で様々な付加価値を
産む事は、経験してきた単独海外旅行で感じて
来ました。日本🇯🇵、武道、サムライ、ハラキリの
イメージは格闘技ではプラスになる。
キャラが出て、注目が集められる。

③ 覚えてもらう為の戦略
 交渉当時は38歳。メールする度に自分の
名前を最後に入れ
「古すぎる日本人ファイター竹内幸司」
という自虐を入れた。

④ 相手側のリスクを考える
 相手のリスクを想定する事は大切。
いきなりメールが来たファイターに対する

本当に来るのか?

が不安。マッチアップしていざとなって
来なければ大会のイメージダウンになる。
 又、招聘するのに交通費がかかる。
金銭的負担を考えた時、LCC路線を頭に入れて
交渉した。その事は、シンガポールで試合した
後輩が、LCCで移動している事を聞き気づいた。
当時の東南アジアでの興行のマッチメイクを見ると
LCC路線の活用は如実に現れていた。

もちろん戦績をしっかり残して海外挑戦は可能。
その際は有名なブッカーの信用を通じての交渉に
なる。成績が普通でも海外での挑戦が可能で
どの様に交渉してきたのか紹介しました。
恥ずかしがらず、自分の夢を叶える努力をすれば
夢は叶います。皆さんの夢のお手伝いが出来れば
幸いです!海外で将来的にやってみたい方は
ご相談くださいませ。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?