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アパートの壁

 アパートの壁が薄いのだろうか。隣に住んでいる人の声(犬もいる)は全然聞こえない。長野のお寺に勤めてたそうで、たまにお経を読んでるらしいがほとんど聞こえてくることはない。2階に住んでるのはその人とワンちゃん一世帯と僕とmiiさんの一世帯の合わせて二世帯。それと一階に住むご夫婦が一世帯で合わせて三世帯のアパートだ。一階のご夫婦はまだ越してきて一年くらいだと思うが、穏やかなご夫婦が越してくるまで色々なことがあった。(たまにお酒を飲んでるのか賑やかになる時もあるが大体22時を過ぎると静かになってくるから、向かいの家のテレビの音の方がよく聞こえる。そこは大きな庭付きのお宅で、おばあちゃん一人で住んでいる。多分耳が遠いのかもしれない。)
 越してきた当初1階では子供向けの英会話教室と自宅を併設して住んでる女性が一人暮らししていた。子供達がいる時間は賑やかな時もあるがそれも時たまであり、そんなに気にならない程度だ。越してきたばかりの時、僕は自分の部屋でギターを弾けることが嬉しくて時折、弾き語りをしていた。(実家だと隣に兄がいたりして、一度うるさいと言われ大喧嘩をしたことがある。)それも結構な頻度で歌っていたのだが、ある日1階のお姉さんは静かに引っ越しをして出て行った。実家のある逗子の方で教室をやるのが理由らしかった。
 その後越してきた老夫婦と演奏家の娘の親子が最悪だった。老夫婦は2人ともおそらく認知症が進んでいて、半ば押し込めるようにこのアパートに連れてこられたといった様子で、おじいちゃんに至っては家の前で立ちションしてた日もあった。おばあちゃんの方はいつだったか骨折を理由にそのままどこかの施設に預けてしまったようで、そのまま家から気配は消えた。おじいちゃんと演奏家の娘2人きりの生活がはじまったのだが、夜中になると娘が発狂し始める。毎晩怒鳴り声や、罵声が飛び交い、僕のストレスはピークになっていた。そんなある日、救急車が慌ただしく家の前に止まり、なにかの発作だったのか運ばれて行ったおじいちゃんはそのまま亡くなった。それからしばらく演奏家の娘の夜な夜な泣き喚く声や、独り言、誰かと会話してるような話し声が響き渡る日が続いていた。もちろん大切な家族を失ったから悲しいだろうが、この人に悲しむ権利があるのだろうかと真剣に考えてしまった。おじいちゃんが死ぬまでの間に浴びせられていた言葉は聞くに耐えないものばかりだった。(寝転がってるからか、地面に耳が近いからか、一階の声は尚のことよく聞こえるのだ)お前が生きてるからいけない、早く死ねと言ったような言葉が毎晩のように聞こえてきた。そう言うフラストレーションが溜まりに溜まってある時二日間連続で眠れない日があった。その日も同様に夜中の3時4時まで大きな声が鳴り響いていたからで、プラス引っ越しの準備中だったのか大きな物音まで追加された。あと1時間経って静かにならなかったら注意しに行こうと何度か続けて数時間。意を決して3時だか4時に演奏家の女性のドアを叩いた。毎晩毎晩大きな声を出していたり、大きな物音を出したり、うるさくて寝れないんです。静かにしてもらえませんか?と伝えた。演奏家の女性はすみません父が認知症で、と返した。僕はあなたに伝えてるんですが、とにかく音が大きくて寝れないので静かにしてもらえませんか?と再び返した。もうそのお父さんはいないはずだった。とにかく伝えたいことは伝えて、少しモヤモヤが晴れて、それからも多少の物音や声はするもののすぐに引っ越しをして出て行った。
 僕は人に注意することをあまりというかしたことがないような気がする。自分が強制されるのが嫌いだからだ。だけどこの時、おそらく初めて注意をしに行った。注意をして結局思うのは僕は人に注意できるほど完璧な人間だろうかと言うことで、引っ越ししてからしばらく好き勝手にギターで弾き語りしていた僕の声や音はきっとうるさかったはずだし、それでも21時までと自分の中でルールは決めていたが、やっぱり騒がしかったと思うとなんだか申し訳なさが湧いてくる。そんな経緯からか、家では大きな声を出せなくなってしまった。気にしすぎかもしれないが本当に。なので引っ越しをする時の条件は壁の薄さを気にせず好きにギターを弾いて、大きな声で歌っても大丈夫な場所がいま僕が希望してることなのだ。

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