なんでもないことをなんでもないことのままに

心に余裕がある時に少しずつ、録画しておいたドキュメント番組を観ている。興味があったタイトルをなんとなく録画しているので、テーマはバラバラだ。

そうして少しずつ観た中で、とある内戦の中で生まれた我が子にいつか見せるため、というような切り口で撮られたものがあった。その中では、私たちが日常だと思うものの中に、当たり前のように空爆が混ざっていた。

戦争と聞くと私はつい忘れがちになってしまうのだが、そこに生きる人たちは食べて飲んで眠って、と当たり前を脅かされながらも生活を続けている。時には結婚や出産も。

本来はなんでもない日常の一環として描かれるそれが、いつの間にか特別に変わり、非常事態なはずの空爆や病気でも老衰でも不慮の事故でもない人の死が日常に変わっていた。

子供をあやす母親の動画の後ろで爆発音が響き、子供が自分の友達は毎日のように死か避難で減るのだと真顔で話す。そんな悲しいを通り越して虚しいことがあってたまるかよ。泣けもしないまま気分が沈む。だけど、今日もどこかでこのドキュメントと同じことが起きている。

私たちが日常だと思っていること、なんでもないことが、彼らにとっての当たり前の日々に戻りますように。ドキュメントの中で生まれた空の名を持つ赤子が、その妹が、今日もどこかで生まれている命が、健やかに成長して幸せになりますように。家族の安全を守って、他は自力で乗り越えるから、なんて祈りを神に捧げなくてもいい場所が少しでも多くなるように。

なんの力も持たない私だけど、切に祈っている。

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