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第二次大戦とコロナパンデミックの共通点

皆さん、だいぶ世界は目まぐるしく動いてますね。出来事が多いせいか、ほんの少し前の出来事でも、遠い記憶に感じてしまうのは、私だけでしょうか?

さて、今日のテーマは、「非国民!!とワクチン打ってないの!!」です。なんだか良くわからないテーマですね。

パンデミックもすでに遠い昔になりつつありますが、大戦中の日本に生きていない私たちでも同じことをしていたんだということを、振り返ってみましょう。

そう、時は3年遡り、2020年3月。当時私は、海外。日本の報道はテレビやYouTubeしか手段がない中、横浜へ停泊中の客船からコロナ感染の報道。感染者受け入れ第一号であるホテルも報道の的になっていた。当時すでに状況はもっともっと深刻なのに、あんな小さなことに報道陣が集っているのは滑稽でしかなかったし、親しい友人や親戚には、とにかくすぐに日本へ広まるからと、お米などの備蓄を伝えていたのを今でも覚えています。そして、ファイザー製薬からワクチンがその年に出るよとも。。。(この辺は過去の記事を見てください)

あれから3年半が過ぎました。

皆さんにとってのコロナパンデミックはいかがでしたか?いや、過去にしてはいけないですね。これからまた、毒ワクチンをキャンペーンするみたいだし、ワクチン後遺症で亡くなったり、苦しんだりしている人もたくさんいる。未来である子供達まで、心筋炎などで命を落としたり、そのほかにも多くの症状を発症している人が多々いることは、もっとも悲しい。

じゃ〜、誰がそうさせたんですかね?

この3年半を振りかえってください。

そうです。私たち日本人同士が、マスク警察だのワクチン職域接種だの、医療関係者に至っては強制と言っていい仕打ち。

私は、1945年の終戦を迎える前のそれまでの日本が、同じことをやっていたんだなって実感できた。当時は、戦争へ行かないのは非国民と石を投げられたり、村八分にされたり、場合によっては、憲兵に連れて行かれたり。

形は変われど、本当に日本人の村八分根性っていうか、そういうものがこういった非常時には再燃するんだなって。でもね、戦争に行った息子は帰ってこないし、ワクチンを打って亡くなった子供やパートナーや親や友達は帰ってこない。

もちろん、そういった村根性は悪い面だけじゃないのは分かっている。もしかするとね、それが最後に日本人を救うことになるかもしれない。そう思っています。

だから、まずはね、この3年半で起こった身の回りの出来事をもう一度振り返っても良いのじゃないかな。これから2025年までの2年半。その日本人の気質を良い方へ向かわせてほしい。


#パンデミック #戦時下 #村八分 #マスク警察 #ワクチン #ワクチン後遺症 #コロナ #非国民 #職域接種 #心筋炎


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