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【エッセイ】3ヶ月分の定期更新

 今日買ったばかりの真新しいスーツに袖を通した時、「新社会人必見!」インスタに載ってたブランド物の通勤用カバンを地元のアウトレットで買った時、ポップなキャラクターがあしらわれたシャープペンシルを取っ払って無難な無地のボールペンを筆箱に詰め込んだ時、そして電車アプリで何度も経路を確認して定期を買った時、私は新生活を実感した。定期は3ヶ月分を購入した。本当は6ヶ月分買った方がお得なのは間違いない。けれど、ほんのちょっとディスプレイを指先で圧迫する勇気が出なかった。

 夏になった。とにかく暑くて、毎日汗だくで出勤している。研修が終わりいよいよ業務に携わるようになった。6時前には起きて出勤し、18時30分には退勤するというリズムに慣れてきた頃、また定期更新の時期がやって来た。試しに「6ヶ月」と表示されたディスプレイを軽く押してみた。しかし、ディスプレイはまるで反応しなかった。駅の自動販売機は接触が悪いらしい。気が削がれた私は、結局また3ヶ月分の定期を購入した。

 秋になった。業務量が落ち着いてきて一気に暇になった。暇すぎて社内では雑談が多く発生したが、大抵が「〇〇さんって△△さんに似てるよね~」だの「××さんのネクタイの柄が派手で~」だの本当にくだらないことばかりだった。私が噂のやり玉にあがることもあった。そういう時は社内システムをずっと検索している。今日の日付を見終わったら昨日の日付、それが終わったら一昨日、それが終わったら……。本当、毎日毎日同じことを繰り返している。出勤して、気晴らしにご飯に行って、退勤。出勤して退勤して、出勤してまた退勤する。また、定期更新の季節がやって来た。この行為にも慣れてきた。私は迷わず3ヶ月分を買った。まあ、とりあえず、今のところはこのペースで頑張ろう。



 冬になった。日々の業務には何の問題もないが、いかんせん電話応対が絶望的に出来なかった。電話に出ても何と言えばいいか分からず5秒くらい黙り込んでしまったり、お客様が何を言っているのか全く理解出来なかったりした。適当に返事してはいけないというストレスが、私の肩にのしかかった。しかも、聞いたことを相手にわかりやすく伝える能力にも恵まれていなかった私は、引継ぎも満足に出来なかった。
 「あの、これってどういうことですか?」電話越しに優しく問いかけてもらったのに、私は満足に答えられず、電話が終わった後泣き出してしまった。泣きすぎて後頭部が引き絞られるように痛い。定期更新の季節だった。私は1ヶ月分を選択しようとしたが、すんでのところで3ヶ月分を購入した。危なかった。



 そしてまた春が来た。定期は、もう更新しなかった。毎日毎日同じことを繰り返し、同じ人々と顔を突き合わせ、ある事ないこと詮索され推測され言いふらされ、夜が来る度考えていた「会社を辞めたい」という気持ちが朝になっても消えなかったからだ。日付はちょうど、最終出社日の前日だった。
 「ピッ」
 短い電子音が鳴る。もうこの駅に来ることはないだろう。最終出社日には定期は切れていたので、チャージから支払うことになる。ディスプレイに表示された金額は偶然にも私の誕生日の日付だった。









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