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普通になりたいガール

私は変人を演じている。

ノストラダムスの予言の後も世界は滅びる事無く、私は中学生だった。

同級生はみなアイドルに夢中だった。特に私たちの世代を夢中にさせたのはゴマキ加入後のモーニング娘。だった。従来のアイドル像を覆す振り付けは若者を中心に一大ブームを巻き起こした。あの頃は猫も杓子もウォウウォウウォウウォウしていた。


、、、、、知らんけど。


我が家にはテレビが無かった訳では無いが、それを動かす電気が頻繁に止まった。当然テレビが映らなければテレビスターの曲なんて分かるはずが無い。むしろ名前と顔さえも、なかなか一致しない。

多感な時期に私はちょくちょく蝋燭の光での暮らしを強いられた。

ある時、部屋中に灯る蝋燭を同級生に見つかった事があった。私は本当の事が言えず「たまにキャンドルで過ごすのもいいよ。」と話した。嘘だった。完全なる嘘だった。そんなわけねぇ!!煌々と光る蛍光灯の下で暮らしたいと毎回思っていた。宿題はプリントが燃え移ると悪いので忘れていくのが当たり前だった。(馬鹿なので朝やるという考えが無い)私には2歳年下の弟がいるのだが、彼は友人に「宗教」と笑われた。おそらく何かの儀式に見えたのだろう。小学生は残酷である。

私はその日から【ちょっとお洒落な暮らしを好む、変わった子】として生きていく事になった。

本当は、おしゃれなんか全然好きじゃない。キャンドルの灯りで暮らすことがおしゃれだとも思えない。それでも、そうやって見栄を張り、普通で無いことを敢えて選んだ人間として生きていかなければならないのだ。普通になれないから、普通に憧れた10代の私は、こうしてちょっと変わった子を演じていくことになった。

最近やたらと私の周りには普通と言う言葉を嫌う人が増えた。わたし自身、学生時代は「個性が大事。」と言われて育った。コロナによって、おそらく今私たちは「多様性」と言う言葉に支配されつつある。そうなってくると、何の明確な指標も持たない【普通】と言う言葉は侮蔑の対象になるのかもしれない。

普通と言う言葉に嫌悪感を抱く人は、きっと普通である事が当たり前過ぎて下に見ている。

私のように、普通に憧れそれを目指す人間には普通と言う言葉は目がくらむ位に眩しいものなのだ。

あなたも、あなたの周りにいる少し変わった人間をよく観察してみてほしい。その人はもしかしたら本当は変わっているわけではなく、変わった人間だと思われなければ生きてこれなかった人なのかもしれない。

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