⑪シン・開業医心得」 第2章の1より 訪問診療
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「シン・開業医心得」 目次
プロローグ
第1章 シン・開業医心得
1 世間で時々聞く「医者に殺されないように」という文句に殺されないように
2 開業医での経験
第2章 開業してようやくわかる医療制度の問題点
1 たまに話題になるが、よく知られていないことがらについて
2 医療、介護制度の盲点
エピローグ 提言
第2章の1より
確かに、これは、勤務医では絶対わからない。
ひとつひとつの「診療報酬」が、開業医の10倍くらいの大きなものであるにしろ、経営するということの視点は勤務医にはない(あるいは、あっても、甘い)のであるから。
とはいえ、問題点がわかることと、それを改善することは、また別のことであり、後者は非常に難しいこと(現状の制度変更は、不可能)なのであるが。
1 たまに話題になるが、よく知られていないことがらについて
訪問診療
現実の在宅医療や在宅介護の多くは、「社会から『捨てられた』弱い」人たちの、セーフティーネットワークだ。そういう意味で、在宅医療や在宅介護は必要だし、必要なものであり続けている。
いいかえれば、在宅医療を継続する時「やさしく」「あたたかい」気持ちになるよりも、誰もがひきうけようとしない「汚れ役」をひきうける機会のほうが圧倒的に多い。
単純な例をあげれば、多くの人は身内の治療の継続を訴える「良い人」の役割は手放さないいが、その治療を中止する決断を下す「悪い人」の役割を引き受けようとする人は少ない。多くの家族でさえ嫌がるその役を、誰かが、引き受けねばならないのだ。
マスコミで紹介される在宅医療あるいは在宅介護は、ごく限られた「めぐまれた」人たちのものである印象がある。
さらに、在宅医療は、一部のマスコミの論調のような「より良い?最後をむかえる」ための特別な手段ではないとぼくは思う。その論調につられて?在宅で家族が患者をみようとする、少数の患者の家族はいないわけではない。しかし、実際にそれが始まると、多くのことを学ばねばならず、肉体的・精神的な膨大な負担が、看取るあるいは介護する家族にのしかかる。
さらに、訪問看護や介護で、家族が要介護者をみる場合、家族が介護の技術や知識を短期間のうちに学ぶことのむずかしさに加え、親族ならでの思い、などあり、家族の心的ストレスは大きいのだ。
要するに。家族は、客観的になれない。血がつながっているゆえの情があるのだ。
実は、技術と知識を持った医者でさえ、家族が入院したときには、その主治医からはずれる。スキルがいくらあっても、冷静に考えられなくなるからだ。
なのに、介護者は、技術と知識さえも少ない上に、冷静になりにくいという、二重の困難下で、家族のケアをするのだ。
例えば、すべて、高齢者は施設でみる?小学校のように「老学校」をつくったらどうか?とふと思うことがある。
それは解決策でないにしろ、そういう問題意識をもつことは大切だ。
なぜなら、家族で身内を1例だけ(時には短い間)介護経験があるのと、施設等で様々なケースを長い時間かけて経験したのを比較すれば、後者のほうが広く深い経験をもつことができることはあきらかである。そして、適切な指導や自己反省があれば、家族の「かわいそう」に反応するだけが介護でないこともわかりつつ、親身な介護もできるはずである。家族の「かわいそう」に冷静に対応できる、プロ意識がもてるはずである。
それにしても、年金生活にはいり、不良少年のような生活をおくっている大人たちには、2025年前後に自分自身が後期高齢者の仲間入りをする前に、是非、介護について学んでほしい、と思ったりもする。
①へのリンク: ①「シン・開業医心得」 プロローグ|kojikoji (note.com)
⑫ヘのリンク: ⑫シン・開業医心得」 第2章の1より オンライン診療 |kojikoji (note.com)
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