新しき地図 6 死体検案書
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6 死体検案書
そして、どんな、場所でも、犯罪の匂いというのはするものなのだ。
たとえ、そこが、「老人施設」であったとしても。
この老人施設で、一人の老人が病死した。野崎清、82歳、男性。ここ「のぞみ苑」の施設長、野崎淳の養父。つい最近、閉鎖になった「野崎酒造」の元蔵元(社長)。
入所前は、幻覚をともなう認知症(暴力をふるう認知症でなければ、認知症もなんとかなる)と、通常でない便秘(高齢者は、大なり小なり便秘だが)が問題だった。幸い、入居してしばらくすると、施設に慣れて穏やかになり、薬で便秘も解消した。しかし、当初、立ちあがれて歩けたのが、徐々に立ちあがれなくなり、スプーンが持てたのに、持てなくなり、食べ物が飲み込めたのに、飲み込めなくなっていった。
口からの食事摂取では、体を維持するのには不十分だったのだろう。だんだん、弱っていった。栄養剤(経腸用ラコール:これは、かきまわすほど水のようになってくる、という、「ふりふりジュース」のようなもので、本人の嚥下機能によってゲル化を調整できる優れものである。味は、甘すぎず、飽きがこない)を摂ってもらってはいたが、それも限界があった。
ここで、「3、3、3」ルールというものを紹介する。これは、「呼吸をしなければ3分、水をのまなければ3日、食べ物をたべなければ3週間、で人の命は失われる」というものだ。
「呼吸をしなければ3分」というのはできるだけ早くAEDと人工呼吸法を使わなければならない必要性でわかるだろう。「水をのまなければ3日」というのは、災害時72時間以上救助されないと存命率は下がる、ということで、一般的にも多少なじみがあるかもしれない。最後の「食物がなければ3週間」というのは、あまり意識されてないかもしれない。食物のない無人島に漂着したときに役に立つ?かもしれない。
野崎清は、12月13日に急に意識を失った。傍目には、急に、だったかもしれないが、見えないところで、その準備は進んでいた。「食物をとらねば3週間」というが、実際の場面では、少しずつ、食べ物は摂っている。しかし、必要量までは届かない。少しずつ、貯金からお金がおろされ残高が減っていくように、彼の「3週間」は数カ月まで延長された。しかし、ついには、生命の貯金はなくなり、12月13日がやってきたのである。
施設では、むやみな点滴はしない、看取りはする、ということを入所時から予定をしていた。意識を失ったあと、点滴で彼は、少し状態が持ち直した。ここで、(1)高カロリー輸液または胃ろうで、十分な栄養を入れはじめれば、「3週間で命をおとす」ということはなくなる。これは、多くの病院で行われていることである。(2)栄養は十分でなくても、十分な水分を点滴すれば、「3日で命をおとす」ことはなくても、「3週間で命をおとす」だろう。(3)不十分ではあるが、少しずつ点滴をおこなう。この場合、「3日で命をおとす」ことはなくても、3日と少し、で命をおとすだろう(貯金の目減りの比喩は、必要水分量についてもあてはまる)。
この3つを、嘱託医のダイゴ医師は、野崎清の家族である施設長の野崎淳に話しをした。
どれを選んでも、悲しい選択である。3つ以外の選択はないのか?そして、家族は、(3)を選んだ。(3)の点滴は、中途半端にも思われる。しかし、少量の点滴をおこなうことで、時に、より穏やかに死をむかえることができるのだ。
そして、12月27日に彼は息をひきとった。最後の2週間は、文字どおりベッドに寝たきり。しかし、家族やスタッフは、呼びかけに野崎清さんがうなづいてくれた、まばたきしたり、少し手を動かしたりしてくれた、と彼を見守り続けた。
施設での看取りは、施設スタッフにとっても、看取り前、死亡宣告、看取り後(施設から葬儀屋への移送)、すべてが手探りの状態だった。いわば、彼が身をもって提供してくれた、学びの場であった。
点滴は、腹部への皮下注射でけっこうな量を体にいれられる。少ない皮下静脈をさがし、輸液ポンプで量を調節する「病院風」の点滴はする必要はないのだ。
人が死ぬと、医者がやってきて「死亡診断書」なるものを記入する。この「死亡診断書」とやら、単なる紙切れ一枚に、汚い医者の筆跡でところどころ走り書きされただけの代物なのにも関わらず、意外に重要だ。
それを役所に持っていかないと、死亡が認められない。火葬場で死体を焼いたり、墓地に、死体を埋葬することができない。つまり、公式的な葬式ができない。あとは、遺産相続の手続きには、必ず、この「死亡診断書」のコピーが必要となる。銀行、郵便局、保険会社、株屋、みんな手続きにこれが必要だ。
そうそう、死んで3カ月以内に、残された遺族が申請すれば、死んだ人の借金は、遺産相続者が負担する必要はないという。これは覚えておいて損はない。
その施設で、野崎清が老衰で12月27日に死亡して、嘱託医のダイゴ医師が「死亡診断書」を書こうとしたとき。
驚いたことに、死んだ老人の養子ではあるが息子である施設長の野崎淳は、書類を、死んだ野崎清の「死亡診断書」でなく、「死体検案書」にしてくれと、ダイゴ医者に伝えたのだった。
「死体検案書」
これは、その死人の死が、病死(自然死)でなく、不審死であり、第三者によって殺害されたなどの犯罪による死亡のときに作成される。
まさか、この施設で、殺人事件がおこったというのか?介護職員による利用者へのいじめ?あるいは、利用者同士のトラブルか?
そうなると、警察が、この施設にはいり、職員に対してとり調べがひとりひとりにおこなわれる。そして、さらには、新聞やTVにニュースとなってとりあげられる。ここの「のぞみ苑」の評判は、実際はどうだったのか?などというものにはおかまいなしで、とにかく、がたおちだ。
施設長の野崎淳は、なぜ施設の経営に悪影響がおよぶ可能性があるのに、「死亡診断書」でなく「死体検案書」を書くように、死亡宣告をしたダイゴ医師に言ったのだろうか?普通なら、経営的にいって、そういうことが実際あったとしてもできれば隠してでもそれを避けたいというのが普通なのに。
しかも、ダイゴその医師は、もともと「死亡診断書」を書くつもりでいたし、職員も私も、彼の死因について、老衰以外のなんの可能性もないと思っていたのに。
施設長の野崎は、説明した。
「私は、入居していた父親がここの施設の職員や、利用者さんに、殺された可能性があるので、調べてほしいというわけではないのです。ただ、この人の血液を、DNA鑑定にまわしてほしいのです」
と、そこに集まった医師、警察、職員の前で施設長は言った。
「実は、私、ずっと黙っていたのですが、死んだ私の父が、ある、事件の犯人ではないかと思っていたのです。もう本人は、死んでしまったので、もし彼が犯人だとわかっても、彼は、逮捕されたり牢屋に入れられたりすることはもうない。でも、私、真実を知りたいのです。容疑は、40年前に、彼の家の近所でおこり迷宮いりになった殺人容疑です。どうか、死亡診断書でなく、死体検案書でお願いします」
そして、その死んだ老人の血は、過去の迷宮入りした犯罪に関する、DNA鑑定照合に回ったのだった。
その結果は確かに驚くべきものではあった。
40年前、確かに、今回死んだ老人が住んでいた、当時の家のそばで殺人事件がおこり、それは迷宮いりになっていた。被害者は、岡野静子という名の女性だった。証拠品についていた血痕はあったが、野崎清は、ずっと容疑者にさえもあがっていなかったのだった。だが、今回、死後、息子の依頼でDNA鑑定をした結果、息子のいうように、証拠品についていた血痕は、DNA鑑定では、その死んだ野崎清のものと一致していたのだった。
ただ、実は、血痕のDNAは、もう一人別の人物のものも残っていた。こちらは、誰のものかは未だ不明である。よって、今回の結果だけで、野崎清が、岡野静子を40年前に殺害したとは断定できない。
鈴木宏が、この一件で一番よく考えさせられたことは、父親を犯罪者と疑っていたのに死ぬまで警察にそれを届けなかった息子である野崎淳の気持ちや、にもかかわらず、父親の死後、それを永遠に黙っていればいいのに警察に告白した気持ち、についてだけではなかった。
自分自身の、記憶にない過去についての恐怖だった。
記憶にないのは、楽しかったことや苦しかったことだけではない。もし、自分が罪を犯していたとしても、自分にはその記憶がないのだ。
鈴木は、最初に、自分をこの施設に送り込み、今までずっと施設利用料を振り込んでくれている、未だ顔をおもいだせずにいる、阿部保のことを考えた。また、おそらく知っているにもかかわらず、鈴木の本名をふくめ、鈴木の過去を隠し続けている、施設長の野崎淳の存在も不気味だった。
今まで、二人のことを調べた範囲では、自分、すなわち鈴木宏と二人が関連するものは何ひとつでてきていなかった。
実は、鈴木は、入居まもなく、野崎淳の「戸籍抄本」を施設ケアマネージャーの平松美紀に頼んでとりよせてもらった後、やはり平松美紀経由で、ある興信所に頼んで、市役所から阿部保の「戸籍謄本」もとりよせてもらったのであった。
そこに、阿部保の父と思われる、自分自身の存在が載っているのではないか?と思ったのだった。自分が、阿部保の父なのでは?と思ったのは、単に、年齢から考えて、もし自分が阿部保と関係があるとすれば、そんなところだと思ったからだ。
だが、そこには、阿部保の父親は、阿部保が幼少時に死亡、とされていた。
施設長の野崎淳の「戸籍抄本」に書かれているものと同様、そこには、鈴木宏の過去につながる、なんの情報も記載されていなかったのである。
また、今回の「死体検案書」の謎をうけて、好奇心で、鈴木宏は、今回亡くなった野崎清、そして、20年前に野崎清が殺害した?可能性がある岡野静子の戸籍も調べてみた。しかし、そこには、岡野静子と野崎清をつなぐてがかりはなかった。
一方、確かに、施設長の野崎淳が、2年前自殺した野崎病院の元理事長の野崎守の元息子で、その後、野崎守の兄である野崎清の養子になっていることが戸籍上再確認された。
また、野崎守には、野崎淳の他に、野崎英一という子供もいることがわかった。その年恰好は自分くらいだ。だが、どこかで働いているに違いない。はたして鈴木宏とは、関係あるだろうか?
いったい、自分はだれなのか?
鈴木宏というのは、自分の本名なのか?
そうでないなら、自分の本名は何か?
鈴木の絶望的な気持ちは、日常的に晴れることはなかった。時間の経過とともに、ふくらんでいくばかりだった。
こうなれば、いっそ、事件をおこすなりして、マスコミに自分の顔写真をのせて、誰かから「この人はXXです」という問い合わせを待とうか?
もちろん、鈴木に、そんな勇気はなかった。
せめて、新しいことがわかるチャンスは少ないが、今度、施設長の野崎淳に、彼の実の兄である野崎英一の消息について尋ねてみようか?と思っていた。
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