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アベマリア 第9章 神野一樹の回想録

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第9章 神野一樹の回想録
 
    1
 
「それで、そのあと、神野一樹は、殺人者として逮捕されたの?」
と、アイちゃんは、ダイゴに聞いた。
「いや、実際はそんなことはなかった。
 いずれにせよ、ある仮説ができたとしても、それを検証することが必要だ。
 ぼくとクニイチは警察にいって、第二の解剖の臓器がはいっていて捨てられそうになっていたゴミ袋を回収し、臓器と血液を採取し、薬物検査にだす要望をだした。
 そして心臓を採取し、そのHLAを検査し、その心臓が生化学の教授のものか、病理学の教授のものか調べるように頼んだ。
 だが警察はぼくらの仮説に興味をもってくれなかったんだ。
 ぼくは、直接、神野一樹にこの仮説をぶつけたことがある。
 だが、神野一樹は、笑って受け流すだけで、この仮説を認めなかった。
要するに、人間の人生では、回想録とか履歴書に書かれないことのほうが圧倒的に多い、ということさ」
 
 神野一樹が定年退職後、ぼくのクリニックのある街の医師会で、多くの人がやりたがらない、検死とその『死体検案書』作成を一手にひきうけたことは、偶然ではあるが、驚きでもありました。
 昔の疑惑があったにせよ、1年365日、ほぼ毎日1件平均ある検死を続けたこと、退職後も多忙な日々を送り世の中に貢献し続けていたということ、について、ぼくは今も尊敬の念をもっています。
 だが、これらは、あの『謎』とは無関係なことです。
 ただ、ぼくは、この神野一樹の回想録に、あの『謎』がかかれているか?一番興味があった。つまり、彼が、われわれの推理どおりのことを、回想録の中で『自白』しているか?知りたかった。
 だが、残念ながらそのような記述はありませんでした。とはいえ、それは、当然のことともいえます。だれでも、実は自分が殺人犯だった、などと後世に書き残したくはないでしょうから。自責の念、罪の意識、そんなものはどこにあるかわからないのですから。
 でも実は、神野一樹の回想録が、ぼくにとって、興味深いものであったのは、もうひとつ理由があります。そしてこれについては、この『回想録』に決定的な記述があったことです。
 それは、神野一樹の息子は二人いた、名前は太郎と次郎、そして二人は双子だった、という事実の記載でした。
 1年前に、その一人、神野次郎は、なんらかの事件にまきこまれて刺殺されました。
 一方、もう一人の双子、神野太郎は、太郎さんという子供さんは、海外協力隊の仕事をしている最中に、ISのテロに偶然まきこまれて10年ほど前に死亡したとのこと。 
 この記述を読み、私は戸籍を確かめました。
 まさに、そのとおりでした。
 ところが、よく調べると、実は、神野太郎の死体は確認されていないのです。
 行方不明のまま、海外で消息が消えた2年後『認定死亡』とされていたのです。
 理屈から言えば、神野一樹の部屋で検出された指紋は、神野次郎のものではなく、双子でまったく同じ指紋をもつ、神野太郎のものだとしても、説明がつく。
 これは、『認定死亡』とされた、行方不明の神野太郎が、どこかで今も生きているとすれば、証明できます。だが、これを証明することは、今、できていませんし、おそらくこれからも難しいでしょう。
 神野太郎が、名乗り出たり、発見されたりしない限り。
 これは、太平洋戦争の戦地での死亡確認が戦後難しかったようなことが、平和な今の時代におきたような悲惨なことです。
 でも、この仮説を推し進めた結果、ぼくは、神野次郎の死後に、神野太郎は、アイちゃんの目の前に現れた可能性がある、と考えました。指紋が、検出されたように。
 そして、それは、さきほど、アイちゃんが、話してくれ、証明されました。
 神野一樹氏の部屋で発見された指紋は、次郎のものでなく、太郎のものでしょう。その形状は、まったく同じですが、違う指の痕跡でしょう。
                      
    2
 
 本当に、死んだ神野次郎の、双子の兄弟の神野太郎はまだ生きているのか?
 もし、そうだとしたら、震災で行方不明で「認定死亡」された太郎が、生きて現れたことを、神野一樹と、神野次郎は知っていたのか?
 知っていたとしたら、いつからか?そして、なぜそのことを公にして、「認定死亡」を取り消さなかったのか?
 
 二人とも死亡してしまった今、それを本人たちに聞きだすことはもうできない。
 だが、いろいろな痕跡から、それを想像することはできる。
 見える微かなことから見えないものを想像すること。
 それは、ぼくにいわせてもらえば「医療と推理に共通しているもの」です。
 では、いくつかの点をもう一度確認しておきましょう。
 まず、死んだ次郎の妻の神野美樹は、警察が、
「パスポートには、神野次郎が、フィリピンに行った行きの記載がある」
と言ったのに対して
「でも、神野次郎が、フィリピンに行ったことを私は知らない」
と答えました。
 ぼくは、この点について、もう一度神野美樹に確認をいれました。
 すると、彼女は、ぼくに、
「パスポートに記載されている期間の間、神野次郎が日本にいたという証拠があるわ。彼は、その間、薬剤師の仕事として、自分の名前で処方箋を処理していたことを示すものがあるわ」
と言い、それをぼくにみせてくれました。
 ぼくが、では、パスポートに記されている入出国の印は、どう説明するのか?と問うと、
「それは、たぶん、誰かが、私の主人に『なりすました』のよ」
と彼女は答えました。
 じゃあ、いったい、誰がなりすましたの?と聞くと、
「わからない。わからないから、警察に強く抗議しなかったのよ」
 この場合、神野太郎が生きていて、次郎に『なりすまして』パスポートを使ったとしたら、説明はスムーズにつきます。
 だが、ぼくは、神野美樹にこの仮説のことは言っていません。あいまいなことを言い、彼女によけいな心配はさせたくなかった。あるいは、あまり、理詰めにして、彼女を追い詰めたくなかった。とにかく、バランス感覚から、そうしました。
 ただここで言えるのは、神野美樹は、神野太郎が「認定死亡」をひっくりかえし出現したこと、を知らないでいる、ということです。
 一方、パスポートを神野太郎に貸し出したということで、神野次郎はそのことを知っていた可能性が高い、ということです。
 
 では、神野一樹は、神野太郎の復活を知っていたか?
 それは微妙です。
 ちょうど、そのころに体調をくずして、頭がはっきりしていなくなっていった頃でしたから。
 ただ、神野一樹のパソコンから、この『回想録』が、何者かによって、つまり神野太郎によって削除されているという事実があります。
 ということは、神野太郎は、その「復活した」ということが世の中に知られるということを恐れていた、ということを意味しています。
 つまり、神野太郎は、自分の復活を知っている神野一樹が、回想録にその記述をすることを阻止したかったということになります。
つまり、「神野一樹は知っていた」ということになるのではないでしょうか?
 さらに、これは、神野太郎は、自分の秘密が世間に知られることをおそれて、神野一樹を殺害したのかもしれない、という仮定も可能にします。
 神野次郎は、既に1年前に死んでいるので、現在、自分、神野太郎の「復活」の秘密を知るのは、神野一樹のみとなっています。もし、彼が死ねば、その秘密は、ずっと守られる、というわけです。
 実は、ぼくは、警察の調べた神野一樹の血液中の、薬物濃度プロファイルをみなおしてみました。すると、筋弛緩剤の分子量の個所に、ごく小さいピークがある、といえないことはないことがわかりました。あまりにも小さいピークで、警察は『このピークは有意なものではない』という判断をしたし、ぼくもそれでいいと思います。
 でも、微小骨折の時のレントゲン写真の読影、胃カメラで採取した早期胃がんの検体の顕微鏡写真を、医者がみるときに『その目でみれば映っている』くらいの微小なピーク、といえないわけではないと、ぼくは確認しました。
 客観的な証拠でないのが残念ですが。
 もし、生きている神野太郎が、もう亡くなる寸前の神野一樹を、筋弛緩剤を用いて殺害したとすれば、それは悲しいことです。子供による父親殺しなのですから。
 なぜ、そんなにあわてたのか?とぼくは神野太郎に、問いただしたい気持ちです。
 人が死ぬときに「3,3,3の法則」というのがあります。
 それは、「呼吸をしなければ3分、水をのまなければ3日、食べ物をたべなければ3週間、で人の命は失われる」というものです。
「呼吸をしなければ3分」というのは3分以内にAEDを使う必要がある、ということで、「水をのまなければ3日」というのは、災害時72時間以上救助されないと存命率は下がる、ということで、一般的にも多少なじみがあるかもしれない。
 一方、最後の「食物がなければ3週間」というのは、あまり一般には知られていないことかもしれません。
 神野一樹氏は、水も食事も十分とれないまま、3週間近く経っていました。
 私は、神野一樹氏の主治医で往診にも行っていましたから、これは間違いありません。
 こういう時、点滴をおこなうことが、延命になるか?おこなわないことが非情なことか?を、問題にする人もいますが、それはケースバイケースで考えればいいことで、一般論にはむかない、とぼくは考えています。
 神野一樹氏のケースでは、点滴をおこなわないのが正解とぼくは考えました。そのとき、もう既に、一樹氏は、意志表明ができないくらい弱っていました。ぼくと、そばについてずっと介護していた、嫁の神野美樹さんと相談して決めたことでした。
 つまり、神野太郎が、手をくださなくても、いずれにせよ、彼の死は同じくらいの時期に起こっていたことなのです。
 一方、そのことが、今回の事件について、警察が淡泊な対応だったこととも関係しています。
 神野一樹が、もう「看取り状態」だったので、「1年前に死んだ息子の指紋が検出されたこと」が、警察によって追及されなかった可能性があります。
 その理由がわかろうが、わかるまいが、他殺だろうが、病死だろうが、神野一樹は、近い時期に死ぬことに違いなかったからです。
 真実が解明されないことで、だれかがそれで損をこうむることにはならないのですから。
 
 これらの推理からすると、アイちゃんが、夫のヒロシの死亡現場でみたという神野次郎は、実は神野太郎だったということになります。
 ここでも、いろいろな想像をすることができます。
 ヒロシ、そしてアイちゃんが、フィリピンで出会い、そして、アイちゃんが日本で会っていたのは、次郎なのか?太郎なのか?
 ぼくは、おそらく、アイちゃんが会っていたのは、神野次郎でなく、神野太郎だったと考えます。
 想像をたくましくすれば、同じ双子でも、今や太郎と次郎の性格はずいぶん違ってしまっていたのでは、ないでしょうか?「なりすまし」という、法に触れた状態で常に生活していく、「次郎こと」太郎は、悪い奴特有のオーラを身にまとい、もしかすると、想像力の強いアイちゃんは、それにひかれてしまったのかもしれない。
 とにかく、推理の上で大切なことは、「夫がいるにもかかわらず、なぜアイちゃんが太郎を好きになったのか?」ということではありません。大事なことは、「ヒロシは、アイちゃんと浮気していた神野太郎でなく、神野美樹と静かに暮らしていた神野次郎を刺殺した」という仮説です。
 つまり、神野次郎は、神野太郎と『取り違えられ』、ヒロシに殺された。
 そこで、神野太郎はどうするでしょう?
 例えば、双子の兄弟を殺された復讐で、神野太郎が、ヒロシを殺害しようと思うことは、ありうることではないでしょうか?
 つまり、アイちゃんの夫のヒロシは、自殺ではなく、神野太郎に殺害された可能性があります。
 ぼくは、夫のヒロシが倒れている現場でアイちゃんが目撃した、神野次郎が、本当に次郎だったのか?と、アイちゃんが疑っていないことは、この一連の仮説を支持するのに、重要なことだと思っています。
 
 また、こんなことも、気になります。
 アイちゃんが、例えば、神野次郎と一緒にいて、『この人、本当に次郎さんかしら?』と違和感を覚えたことがあるかどうか?
 つまり、アイちゃんが、自分では気づかずに、太郎に会っていたり、次郎に会っていたりしてないか?
 でも、今までの話からすると、どうやら、アイちゃんは、「次郎と名乗る」太郎としか、会ってなかったようです。次郎本人とは、会ったことはなかった。
 こういうものは、感覚的なもので、なかなか証明はできませんがね。
 それは、例えば、つぶれた酒蔵の杜氏が、名前を隠して、他の新しい酒蔵で日本酒をつくりはじめたとき。たとえ、名前は隠れていてもが味は似ている、とか。
 あるいは、着ぐるみをきて演奏したとしても、あるいは、名前を代えて新しくCDをだしてきたとしても、その音色をきけば、奏者はだれだかわかる、とか。
 逆に、「自分は彼の息子だ」とか「自分は外科医だ」とか装っても、急ごしらえでは、直に「同業者の匂い」によってそれがウソとわかってしまう、とか。
 そういう感覚です。
 姿形、あるいはID。そんなものより、ふたりが同一人物かどうかをいうのに、そういう感覚のほうが、もっと確かなことがあるのです。
 同じように、たとえ双子でも、今目の前にいるのが、太郎か次郎か?つきあっていればわかると思います。
 
    3
 
 神野太郎が、これから姿を現す可能性はかなり低いと思います。
 なにしろ、もう神野次郎という「オリジナル」がいないのですから。「オリジナル」がいなくなったため、「なりすまし」ができるパスポート等、IDをしめすものがないので、「なりすます」メリットがもうないのですから。
 その姿を世間に垣間見せる時は、せいぜい、今回のように、犯罪現場ぐらいなものでしょう。
「死んだはずの次郎の指紋が検出」された、という風に。
 わたしたちのできることは、神野太郎が、今後、犯罪を行わないことを祈ることです。
 でも、皮肉なことを言わせてもらえば、祈りがかなわなければ、彼の生存を確認することができるのです。
 
 警察の取り調べで、死亡したヒロシの体からは、筋弛緩剤が検出されています。
 警察は、ヒロシ自身がそれを自分の体に打った、つまり「自殺」と結論づけましたが、今までの推理が正しければ、それは、神野太郎がヒロシに注射して殺害後、「自殺と見せかけるために」ヒロシの指紋を注射器につけて、部屋に置いた、ということになります。
 あとは、筋弛緩剤を、神野太郎がフイリピンでどうやって入手したか?
 「本物の」次郎を殺したアイの夫のヒロシを、太郎が殺したとき。
 父親である神野一樹を、太郎が殺した時。
 今までの推理では、両方のケースで、凶器は「筋弛緩剤」です。
 筋弛緩剤=全身の筋肉、ひいては呼吸筋を麻痺させ呼吸停止を起こし窒息状態にして人を殺害する=神経毒。
 実は、これは、手術の際、常に使われている薬剤です。
 もちろん、手術の際には、筋弛緩剤で呼吸停止した状態で、ずっと人工呼吸器を動かしているので、窒息死することはありません。つまり「麻酔」に、筋弛緩薬は使用される。
 日本では、病院外で悪用されることを防ぐため、病院内にある「筋弛緩剤」のアンプルの数は、毎日チエックされています。盗難があったら、すぐわかるように。
 このことは、日本だけでなく、諸外国でも同じです。
 フィリピンでも。
 ただ、神野太郎が筋弛緩剤を入手する際の協力者は、たとえば神野次郎の刺殺現場に居合わせたフィリピンで看護師をしていたマリア、なども想像できます。彼女なら、他の人間より、フィリピンの病院から盗みやすい。
 もしかしたら、アスカルゴの中に居合わせた、マリアというフィリピン女性は、ヒロシから間接的な、依頼をうけて、その時現場にいたのかもしれない。マリアは、フィリピン政府のプログラムのおかげで、日本の看護師の資格をとりにやってきているという。ヒロシは、日本の政府機関の仕事を、フィリピンでやっていた。直接、面識はなくても、プログラム中止を脅しとしてちらつかせながら、マリアに、共謀を強制しようと思えば、決して不可能なことではない。
 たとえば、アスカルゴの中で、マリアがフィリピンからもちこんだ筋弛緩剤を、取っ組み合いになったヒロシと神野次郎のうち、マリアが後ろから次郎に注射する。次郎が動けなくなったところで、ヒロシがナイフで殺害したとか。
 これは、仮説と言っても、妄想に近いかもしれない。
 だが、ぼくの疑問は、大の男が、見知らぬ第三者に簡単に殺されるだろうか?大の男の神野次郎が、殺しの素人のヒロシに簡単に殺されるだろうか?ということです。
 でも、3人しかいなかった、アスカルゴの中で、マリアが犯人に協力すれば、また話しは別です。
 また、マリア、あるいはマリアのような人物から、ヒロシが筋弛緩剤を入手できたように、(神野次郎になりすましていた)神野太郎も、筋弛緩剤を入手して、犯行につかうことができるはずです。
 この際、マリアは、誰の味方でもない、中立です。つまり、ヒロシの味方、でもない。薬を高価に購入してくれる相手であれば、それがヒロシであろうが、あるいは、今度は、そのヒロシを殺害しようとしている相手であろうが、躊躇なく薬を売ったこととでしょう。
 だが、警察は、その線につながる情報はない、と断言しています。また、たとえそうだとしても、マリアが自分でそんなことを白状するはずはない。
でも、あることを証明することと違って、ないことを証明することは、数段難しいんじゃあないでしょうか?
 
    4
 
 ダイゴの話はまだ続いた。
 
 今回のポイントは「なりすまし」です。
 神野太郎の次郎への「なりすまし」。
 この、「なりすまし」は世の中に多い。
 ぼくと、クニイチの手がけた事件にも、多くの「なりすまし」があります。
 殺害した人の息子へのなりすまし、娘の母親へのなりすまし、手術の傷のなりすまし、病死をサメからの襲撃とするなりすまし。
 でも、「なりすまし」は、犯罪のトリックにだけあるものではないのです。
 ぼくらの日々の生活には、「なりすまし」に満ちています。
 「おれおれ詐欺」「架空会社」「架空請求」「から出張」。
 そんな犯罪だけにはかぎりません。
 例えば、ミスをおかしたのに「私はやってない」と主張してしまうことも、広い意味で「なりすまし」といえるでしょう。
 サチさんの不満を言いなおせば、特に介護の職場では、一般の職場よりも、ウソを隠す「なりすまし」が多い、と言いかえることができるでしょう。
 やったのに、やらない。
 やらないのに、やった。
 ウソはばれます。
 でも、ウソとわかっていても、訂正されない、放置されていることの方が、現実には圧倒的に多いと、みなさんはおもいませんか?
 だからといって、そのウソを暴くことが、必ずしも得策ではないということ。
 一方で、そのウソを暴かずに、そのままにしておくことが、決してよくないケースも、その中に混じっている、ということ。
 
 ところで、小さな「なりすまし」が日々あふれている一方、神野太郎の「なりすまし」のような、完全な「なりすまし」は、なかなか今の社会では難しいのではないでしょうか?
 神野太郎は、神野次郎に、楽に「なりすます」ことができました。
 神野太郎は、神野次郎が日本で仕事している間、神野次郎のパスポートをつかって、神野次郎としてフィリピンに旅行にいくということだって、可能だった。
 実際は、パスポート、住民登録、住民基本カード、顔認証、そして指紋認証など、最後のところでわれわれはしっかり管理されています。
こんなことは、太郎と次郎は双子で、さらに太郎は「認定死亡」とされていたというような、特殊な状況でしか、おこりえない、とても貴重なことです。
 でも、この「まれなこと」は、悪いことだけでなく、なにか良いこと、にもつかえたのではないでしょうか?
 それが、ぼくにはとても残念です。
 
 また、アイちゃんの夫のヒロシは神野次郎を、そして神野太郎はヒロシを、何も殺さなくてもよかったんではないか?と思います。 
 ぼくにいわせれば、すべての、フィクション上の、あるいは現実の殺人者は、おおきな勘違いをしているんではないか?と思います。
 病気の比喩で、「がんは死刑で、膠原病は終身刑」という、医者が言うと好ましくない表現があります。
 でも、ぼくは、あえてこう言ってみたい。
 殺さなくてもいいだろうに。
 実際の日本での年間の殺人事件の件数は、約1000件。自殺者数の3万件、交通事故死者数1万件にくらべれば、ずっと少ない。
 だが、小説や、テレビなど、メディアでは、年間1万件以上の「仮想殺人」がおこなわれている。
 殺すより、たとえば、C型肝炎ウイルスを入手して、そのウイルスを、復讐したい相手に注射する。その相手は、C型肝炎に感染し、長い間、肝硬変という状態で苦しみ、肝がんになり苦しむ。長い苦しみを与えた方が、よっぽど相手への復讐になる。
 相手を殺せば、相手の苦しみは一瞬。
 そして、殺した方は、その罪悪感に一生苦しむ。
 いったい、どちらの側の方が、つらいのでしょうか?
 逆説的な言い方をすれば「殺人はもとより不可能」なのです。
 そうでない殺人犯は「自然の猛威」だけです。
 



第10章 へのリンク: アベマリア 第10章 夢枕|kojikoji (note.com)

第1章 へのリンク: アベマリア 第1章 同業者の匂い|kojikoji (note.com)

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