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『「古事記」にまつわるお話 その3』

【明治維新と山鹿流奇跡の系譜】

幕末から明治維新に活躍した高杉晋作氏や伊藤博文氏など多くの人物が、吉田松陰氏に学びます。吉田松陰氏は先祖代々山鹿流師範の家柄でした。山鹿流とは山鹿素行氏に起源をもつ兵学の流派。

西暦1600年の関ヶ原の戦いより22年後、山鹿素行氏は元和八年に生まれます。その68年の人生に於いて様々な学問体系を経験します。林羅山氏より朱子学。小幡景憲氏・北条氏長氏より軍学。廣田坦斎氏から神道を学びます。

武田信玄氏の死後も、甲斐武田氏に伝わる「甲陽軍鑑」が人気を博します。小幡影憲(おばたかげのり)氏は現存する最古の写本の編者とされ、北条氏長氏を教えます。兵学書のみならず、山鹿素行氏は尊王思想に基づいた歴史書「中朝事実」を著します。

また、山鹿流師範吉田松陰氏に学んだ維新の立役者達は「国の礎」を築きます。大日本帝国憲法は約10年もの歳月を経てこの世に現れます。大日本帝国憲法第一条に『大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス(wiki.)』と、記載されています。

儒学者・木下 犀潭(きのしたさいたん)氏に学んだ、井上毅(いのうえこわし)氏は草案に「之ヲ"治(しら)ス"所ナリ」と記載。後に、伊藤博文氏が「之ヲ統治ス」と改めたのだそうです。

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