陣痛ガールの出産日記

「行くのか行かんのか、さっさと決めんかボケがっ!!」
めちゃくちゃ口が悪い父に怒鳴られながら、わたしは陣痛の朝を迎えた。
早朝5時半。明らかに定期的な痛みが来ていた。
父が怒鳴るのも無理はない。

…4カ月前。
突然帰ってきた娘から、
冬には孫が産まれること、ひとりで育てること、福岡に戻ってくること、を告げられた父は、その日から連絡がつかなくなった。そりゃそうだ。
だが、そこは根は真面目な博多っ子。私が福岡に引っ越す日をちゃんと覚えていて、妊婦である私を気遣い引っ越し先の家で待っていてくれた。

そんな父は、なんだかんだぶつぶつ文句をいいながらも、往復3時間もかかる助産院までの道のりを何回も検診に連れて行ってくれて。特に会話もなく、産まれてくるこどもの将来を話すこともなく、ただただいつも不機嫌そうにハンドルを握っていた。

「んじゃ行く。とりあえず吉牛で朝ご飯食べて行くけん、あと1時間後に迎えに来て。」
そう言って電話を切ったわたしは、いよいよ来たか…と若干の不安ってのは微塵もなく、100パーセントの期待を胸に、早朝の暗い道を近所の吉牛まで歩いた。
2014年11月28日。その日はとてもとても寒くて、雪が降ってもおかしくない真冬の暗い天気だった。

 朝定食を食べながら、10分間隔で来る軽い痛みに、
おっ!来た来た。陣痛来とるわぁ。と感動しつつ、
つーか、吉野家の店員よ。まさか目の前にいる妊婦が陣痛真っ最中だとは思うまい。フフ。。。
と謎のシークレットマウンティングをとりながら、ひとりで朝定食 with 陣痛を味わっていた。

 そしていつも通り、ひとことも喋らない父の運転で片道1時間半かかる助産院までの道のりの中で、数人の友人に「陣痛キターっ!!!」のメールを送りながら、静かにわたしの闘いは幕を開けた。
 道中、鹿児島のアッコちゃんから「出産ってめっちゃ痛いけん。マジでがんばってー。」と返信が来たものの、わたしは全くおびえることなく自信満々だった。
なぜなら、私は今までほとんどといっっていいほど生理痛がなかった。自分が生理であることを忘れてトイレに入り、あ、生理やった!と気づくほど、お腹が痛くなることがなかった。
しかも、わたしはヨギーニ。ヨガの流派の中でも一番ハードといわれているアシュタンガヨガを数年やっていた。臨月になっても東京の研修に行き、毎朝1時間半の朝練をみっちり行い、元気に走り周り、妊婦の身体がキツイとか重いとか思ったことは一度もなかった。
またまたアッコがなんか言いよるけど大げさややなあ、くらいに思っていた。
後にこのアッコの言葉が自分に重く辛くのしかかろうとはこの時は知る由もなく、ってのは出産を経験されたみなさまならお見通しであろう。

朝の清々しい空気の中、90分車を走らせ、特になんの会話もなくふつうに助産院に到着した。

「では、来週の火曜に迎えにきますのでっ!」
「え?!お父さん・・・?」と何かいいたげなスタッフをよそに、恥ずかしがりやの父は、私を助産院の前でおろすと、勢いよく走り去っていった。

院では、ひと組の家族が出産の最中というか、まだ産まれはしないんだけどもう陣痛がそこそこ来ている状態で寝ており、出産部屋は使われていた。
診察室に入ったわたしは、「うーん、確かに陣痛はきているけど、まだまだ子宮口が開いてないね。海かイオンで時間つぶそうかね。部屋も空いてないしねー。はい行ってらっしゃい!」
とあっさり、さっぱり言われ…
え?!う、、〝うみ〃???か、〝イオン〃?イオン?
今、なんて言いました?海?か、イオンて…? 突如出てきた、「海かイオン」というワードに、わたしこと陣痛ガールは困惑していた。
そう、ここは助産院。出産をする部屋はひとつしかない。そこに既に先客がいるならば、いる場所はない。いや、いざとなったら部屋はあるが、そもそも子宮口が開いてないので、ただ待っていても仕方ない。動かないことには子宮口は開かない。
 そうそう!!わたしは助産院のこういうところが好きで、自宅から1時間半もかかるここを選んだのだった。
こどもを産むならなるべく自然なお産をしたい。それはヨガを実践し、マタニティヨガも学んだわたしからしたら自然な流れだった。
数年前、わたしのヨガの生徒さんだったさとみさんが、里帰り出産で助産院で出産をした。助産院というものにとても興味があったわたしは、さとみさんがとてもフレンドリーだったこともあり、入院中の助産院を訪れ、そこをたいそう気に入って「わたしも産むならここで産みたいっ!」と思い、間もなく自分もその夢がかなう流れとなったのだった。
後にこのさとみさんには、フレンドリーさを超えた、迷惑っつーかさんざんお世話になるのが出産の奇跡というか、ただの図々しさのなせる業なので、乞うご期待である。
 なので、助産院は優しくない。ええ、それは自分が選んだ道。もちろん陣痛促進剤も使わないし、小さい(当時は小さかった。後にどんどん人気になり、院は大きくなっていった)施設なので場所も人員にも余裕がない。基本的に助産師ひとり体制なので、わたしは敢え無く外に出た・・・・。
ていうか冬の日本海。クッソ寒いんですけどー!!
そうここは、日本海に面した海辺の助産院。近くにあるのは海と道の駅。コンビニやスーパーは徒歩で行ける距離には存在しない。
。。。うん。。。うん。辛い。寒い。悲しい。寒い。寂しい。。寒い。

つーかクッソ寒いんじゃーボケー!!!

朝のうちに陣痛メールを送った由美さんから「どう?順調?」とメールがくる。
「ええと。。。海でひとりで泣いています。」
「え?!どういうこと?海?なんで?」
そりゃそうだ。陣痛ガールが海でひとりで泣いているなんて訳がわからない。うん。わたしも訳がわからない。
仕方ないので、海でヨガをする。ひとり、陣痛の合間に、冬の日本海でヨガ。
うん。。。。全くつまらない。むしろ辛い。よし!イオンに行こう!
海かイオンの二択。まさかのイオン発動である。

さっそく、建築士仲間の岡田さんに連絡
「イオン行きたいんやけど」
「え?!なんでイオン?!
まぁ午後からなら行けるよ」と仕事の合間をぬって返信をくれた岡田さん。この出産劇で最重要人物となる岡田さん、仏の対応の岡田さん。皆さまぜひ覚えておいてください、岡田さん。

 そんなこんなで、日本海で泣きながら待つこと1時間くらい。仕事を終わらせ、車を走らせ日本海まで来てくれた岡田さん、助産院に降臨!!
ちなみに、このうだうだしている最中もちゃんと陣痛は続いている。約10分間隔で。普通に陣痛が来ていることをみなさん忘れないでほしい。わたし陣痛ガール。

 岡田さんの車でイオン。
陣痛はきているといえど、まあまあ元気。ごはんをしっかり食べなさいと助産師さんに言われたのでイオンのレストランでハンバーグ的ながっつりメニューを食べる。
ハンバーグを食べながらも、アイテテ、、イテテ、ちょっと、ちょっと座ってらんねぇ。ちょっと動いていい?7分毎に席を立って痛みに耐える怪しい陣痛ガール。
つーか、レストランの店員よ。まさか目の前にいる妊婦が陣痛真っ最中だとは思うまい。フフ。。。とシークレットマウンティング第二弾である。まだ余裕のお昼2時。

さて、このままイオンにいてもしょうがないし、ちょっと心落ち着く場所に行きたいと呼びかけたところ、小倉南区に住むミサトちゃんが「今夜うちの旦那おらんけん来ていいよー、なんなら泊まってもいいよー。」と言ってくれた。
ていうか、なんなんだこの流れ。私はどこに行くんだ?!陣痛来てんだぞ!こっちは!とは思いつつ。子宮口が開いてないので、院には戻れない。通常なら一度自宅にもどって待機なんだろうけど、いかんせんわたしの場合は自宅が遠すぎる。往復3時間が危険である。なら友人の家だ!ということで、ミサトちゃんの家へ。
芦屋から小倉南区なのでまあまあ遠い。でも行くしかない!というわけで、レッツ小倉南区!

 ミサトちゃんの家には友達が既に集まっていた。わたしのヨガスタジオで働いていた智美ちゃんは、クリスピークリームドーナツをたんまり用意して待っててくれた。もはや出産という名の女子会である。定期的に訪れる陣痛に耐えつつもみんなでドーナツを食う。わたしは楽しい陣痛ガール。
途中、東京にいるさとみさんから「陣痛中の子に富士山の絵を描いてもらうと妊娠できる、っていうから描いてくれない?」と依頼。よっしゃまかせて!あたし陣痛ガール!つーことで、富士山の絵を描く。しかし、忘れないでくれ。普通に陣痛は来ているのだ。そこそこ痛い。富士山を描くのもまあまあやっとである。
 そんなこんなしていると、福岡から高速をぶっとばして、由美さん&みとまん参上!ミサトちゃんの家に、わたしの出産に付き合うべく友人が終結。みんなで、ミサトちゃんが作ってくれた夜ごはんを食べる。初対面の人もたくさんいるのに、みんなで美味い美味いって言って、ミサトちゃんの手料理を食べる。なんだこの状況。めっちゃ面白い。
 そもそもこの助産院に決めたのは気に入っていたのも大きいけど、出産に友達も立ち会えるからである。普通の産院では出産は家族しか立ち会えない。なんなら両親もNGで夫しか許可されない産院もある。わたしの出産には夫はもちろんいないし、家族も反対していたので、このままではひとりで出産しなければいけなかった。それは耐えられない!と友人が立ち会える助産院を選んだのである。
 そんなわたしの勝手な要望を聞き入れてくれて集まってくれた友人達。みんなで陣痛ガールを囲んで晩ごはん。わたしが描いていた夢だった。嬉しい。出産パーティー!!
がっ!!陣痛は普通にやってくる。普通に痛い!間隔は7分間隔。痛みは強くなってる、、、気がする。し、ちょっと出血もしている。さすがに怖くなったわたしは産院に電話。するととりあえず来てください。とのこと。

 福岡から来てくれた由美さんの車でみとまんと一緒に産院に向かう21時。外には冷たい雨が降っていた。
ていうかわたしのヨガにおいても、人生においても何かと師匠というか大事なところで公私ともにお世話になっている由美さん。ただ今、雨の中を妊婦を乗せて爆走中だが、わたしの心の母である。
そして、
「みかちゃん!どう?陣痛強くなった?え!?わかんない?時間計ってる?短くなってる?」と常に強気である。
「ちょっと。。。よくわかりません(弱気すぎてわたし敬語、笑)」
「はー?!ちゃんと陣痛、強くしてよー!私、明日の朝早いんやけん、早く産んでよねー。」とげきを飛ばしながら運転。
後にも先にも、陣痛中の妊婦に早く産めと怒る友達はおらんだろうと、後の由美伝説となるエピソードである。
 いやはや、この時点で早朝の陣痛開始から16時間経過。みんな、想像してみてくれ。
7分おきに腹の底から殴られる激痛が16時間も続いてるんだぞ。もう人としてだいぶフラフラよ。生き地獄よ。

よし、こんなに辛いんだからもう大丈夫だろう。と満を持して助産院に到着。
助産師さんに診てもらうと
「うーん。子宮口まだまだですね。。。分娩室にはまだ入れません。どうします?」と悪魔の宣告。。。(いや、冷酷ではない。わたしがボロボロすぎてそう思っただけです。助産院はちゃんとしてました)
でも、ボロボロのわたしにも後はない。ここで食い下がるわけにはいかない。
「どこでもいいんで空いてる部屋に寝かせてくださいっ!!」
「できなくはないんですが、その場合はご友人は一緒には入れません。おひとりなら入れますが」
うん、、、、ひとり、、、、、、か。心細すぎる。つーか、せっかく福岡まで来てくれた友達に出産を見せずに返すとは、申し訳なさすぎる。
「わかりました。ちょっと待ってください。どっか近くで滞在できる場所を探します。」
とここで、先ほど富士山の絵を依頼してきたさとみさんを思い出す。なかなか産まれないわたしを心配してなんども連絡をくれているさとみさん。さとみさんの実家はこの助産院の近所である。さっそくさとみさんに連絡。事情を話し、実家に入れてくれないか話す。
ここでおさらいである。 
さとみさんは今現在、神奈川在住である。その実家がこの近所で。ちなみにわたしはさとみさんのお母さんと仲が良いわけでもなく、ただ数回挨拶を交わした程度である。
しかーし、わたしは陣痛ボロボロガール!!もはや後がない!
ほんの顔見知りであろうとなんであろうと、行く場所がない!!
ほぼ初対面の恥ずかしさもなんのその、実家に入れてくれないか頼む。
そして、唐突なお願いにもたじろぐことなさとみさんはオッケーをくれた。が!残念なことに、現在さとみさんのお母さんは外出中で連絡がつかない。よって近所のジョイフルで時間をつぶしてくれないか、とのこと。
オッケーオッケー!海、イオン、に続く次の場所、“ジョイフル”ね。
あたし陣痛ガール、もう少々のことじゃ驚かないわ。
 「行く場所みつかったので出ます。。。また連絡します。」
そう助産師さんに伝えて、わたしとみとまん、由美さんは助産院をあとにしてジョイフルに向かった。田舎の夜道は真っ暗なうえ、雨が降っている。雨の日の運転があまり好きじゃない由美さんは「もー、せっかく来たのに、産まないとかどーいうこと?!」とマジで切れていた。ぷんぷんしながら、ジョイフルにわたしとみとまんを下ろして去っていった。
 雨の中の若松ジョイフル…。たむろしてるのは田舎のヤンキー(たぶん)
もうかなりボロボロの陣痛ガールとみとまん。
「あたしデザート食べていい?」と普通に注文するみとまん。こうなるともはや普通にファミレスで過ごしてくれる友達がありがたい。
わたしはけっこうな痛みがきていて、はっきりいって注文などどーでもいい。が、ここは人として何かを注文しなければならぬ。わたしはけっこうこういうところで気を遣う小心者である。
「あ、ド、ド、ドリンクバーをひと、、、つ。」
何事も起きていない顔でオーダーする陣痛ガール。ほんとはドリンクバーなんていらないし、何も喉を通らない。
ジョイフルの店員よ。まさか目の前にいる妊婦が陣痛真っ最中だとは思うまい。フフ。。。とシークレットマウンティングだけはしています第三弾である。が!もう全く余裕はない。
陣痛がくると座っていられないし、苦痛で顔がゆがむし、声も漏れてしまう痛さ。なんなら若干出血もしている。明らかに普通の人ではない。見つかったら救急車を呼ばれてしまうかもしれない。いや、むしろ呼んで病院まで運んで欲しい…!とすら思ったが、ここはやっぱり小心者のわたし。救急車やら呼んで、お店に、他のお客様に迷惑をかけてはならない。耐えろ、わたし!ていうか、店員来るな!わたしのほうを見るなよ。と祈りのような永遠にも思える時間をどれくら過ごしただろうか(たぶん30分くらい)。さとみさんのお母さんと連絡がつき、すぐにジョイフルに迎えにくるとのこと。
もはや陣痛に耐えられなというか、陣痛であることがバレることに耐えられないわたしは、まだお迎えが来ていない雨の駐車場に飛び出した。店員に気を遣うくらいなら雨に濡れたほうがマシだと思った。
 待つこと数分。雨の中、みたことある女性が息を切らせて迎えにきた。さとみさんのお母さん登場である。「ママーーーーっ!」呼んだことなかったけど、躊躇なく声がでる。(こころの中ではいつもさとみママと呼んでいたので)
「ありがとうっ!ママありがとうっ!」もう本当に、リアルに救いの神だった。
陣痛でボロボロの心と体と寒さと雨と。もう、なにがなんだか。わたしはどこに行くのか。これからどうなるのか。。。ゴールが見えない闇の中に現れたさとみママ。そんなママの車で、わたしとみとまんはさとみさんの実家に向かった。

「あ、“Nのために”見ていいですか?そう、〇チャンネル。そうそう、それ。」
さとみさの実家に着くなり、わたしは横着にもドラマを見せろと要求していた。(友達の実家なのに。)
いや、別に、普通に陣痛は続いていた。なんなら出血も増えていた。が、どうしてもそのドラマが見たかったのだ。だって最終回。湊かなえのドラマの最終回!ふだん、わたしはドラマを全くみない。が、そのシーズンは妊娠でちょっと余裕もあったのでドラマを楽しんでいた。しかも湊かなえのミステリー。謎が謎を呼び、まったく先がみえないおもしろい展開の最終回!一応録画もしていたが、どうせ子宮口開くのを待つしかないのである。見るしかない。
さとみママはたいそう気を遣ってくれて、りんごやらみかんやら剥いてくれた。さとみママのファンキーなフレンドリーさに癒されながら、わたしは陣痛が少し和らぐからと風呂に入らせてもらい、さとみさんの生理用品を借り(友達の実家なのに)。みとまんは少しでも寝たほうがいい、と仮眠をとり(友達の実家なのに)。しばしの休息をとった。
しかし、ここは忘れてはいけない、わたしは陣痛ガール。何度も言うけどめっちゃ痛い。普通に痛いし出血もしている。クッソ痛いので、ドラマの内容もあまり頭に入ってこなかった。しかもミステリーなのでよくわからなかった。
けどやっぱ家は落ち着くし(友達の実家なのに、その5)、さとみママはファンキーだし、外は寒いし、なんだかんだ実家はサイコーである。(友達の実家だけど)

ねえ、陣痛中に血を流しながら、友達の実家でみかん食べるとかある?友達のママがおしりをさすってくれるんだよ。ねえ、ないよね?こんなこと。
冷静にそんなことを思いながら、陣痛初日の夜は更けていく。

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