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【書評】アダム・グラント『ギブ・アンド・テイク』--贈り物こそ人類の本質

 人にあまりにあげすぎて疲れきってしまい、自分は周囲から利用されるだけなんじゃないか、と思って落ち込むことはないだろうか。そして、今度こそ誰にも何もやってあげないぞ、と心に誓うのだ。
 しかしながら冷静に考えると、自分に何もやってくれない人なんてみんな嫌いなわけで、そうすると、誰にも何もやってあげないと周囲から嫌われ、人生の破滅は確定である。やってあげるのもダメ。やってあげられないのもダメ。じゃあどうすりゃいいの。
 アダム・グラントは言う。成功するギバーになればいいじゃないか。なんじゃそりゃ。彼の論によればこうだ。大体の人が最初は結構、気前が良い。人に頼まれたことは全部ホイホイやってあげる。でもそうすると、自分の時間が無くなって、本業がおろそかになり、結局結果を出せずに終わる。
 そして人は反省し、マッチャーになる。マッチャーとは、人に何かやってあげはするが、相手から同じ量をやってもらうことも期待する。そして相手がやってもらうばかりのテイカーなら、今度はしっぺ返しとしてその人の依頼を断る。そうやって与える量ともらう量を等価にするのだ。
 これが一番の道のように見える。けれどもそうではない、とアダム・グラントは断言する。マッチャーよりさらにうまくいくためには、成功するギバーにならなければならない。
 成功するギバーと何か。本業がうまくいくための自分の時間をしっかり確保し、支障がない程度でしっかりと人に与える。週に2時間くらいかな。そして相手がもらうばかりのテイカーだと判明すれば、急に自分はマッチャーに変貌してしっぺ返しをする。
 そして相手もギヴァーとわかれば、そのまま互いに与え合う。本性として、人は何かをもらい続けることに耐えられず相手に返そうとするから、与えれば与えるほど結局のところ、自分は豊かになる。
 こうやって相手がギバーなのか、テイカーなのか、マッチャーなのかを見抜き、それに対応して接し方を巧みに変えながら、全体として与えることに集中すると、逆に周囲から最も多く与えられるのだ。
 でも人間社会って、古代からプレゼントを贈ったり贈られたりして成立してきたのではないかな。グラントはITなど最先端の話をしながら、人類史の最も古層にまで到達している。これかなりおすすめ本です。

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