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家庭の幸福は諸悪の本(もと)

幸せになりたい!
そう願わない人は、いないのではないかと思う。

個人的にも、また家庭全体でも
幸せを願うものだと思うのです。

人間なら、誰でも幸せになりたいと思うだろう。
僕も、今よりもっと幸せになりたいと願う1人である。

ところが、ある短編小説を読むと
家庭の幸福は諸悪の本と結論づけるモノがある。

著者は、太宰 治だ。
太宰 治というと「人間失格」を思い浮かべる方も多いだろう。

「人間失格」は、彼の代表作の一つだから
それも当然のことであるが。

太宰が家庭の幸福は諸悪の本である
という風に結論づけた短編のタイトルは
ずばり、「家庭の幸福」だ。

非常に短い作品なので、一度読んでみることをお勧めするが
ザックリと話の筋を話すと、こういうことである。

官僚批判から始まるこのお話なのだが
官僚とて人である。

最初に書いたように、幸せを願わない人はいない。
官僚もまた人であり、幸せを願うもの。

しかし、官僚が自分の家庭の幸福のために
仕事をすることで、その他、大勢の国民が不幸になる。
そんな内容である。

そうして、最終的に”家庭の幸せは諸悪の本”
という結論に達するのです。

これは、太宰が経済のことに精通しておらず
視野が狭かったことが原因だと感じました。

実際、今の日本社会をみてみると
この太宰の小説と同じ状態が繰り広げられていると
個人的には、感じるのである。

現在の日本では、国には借金があり増税を断行しなければ
日本が滅ぶという大嘘が一般化している。

この国の借金や増税が必要であるというのは
財務官僚の出世のための嘘という
まさに、太宰の小説の筋通りといっていいことが
現実となっているのだ。

日本は、世界一のお金持ち国であるにも関わらずだ。
これについては、次の動画でも話している。


つまり、財務官僚も人であり、彼らは彼らの家庭の幸福を追求している
ということになるのだ。

僕が太宰の考えに同意できないのは、太宰の生きた時代も、また現代も
僕ら国民の仕事に対する考え方が、ズレているからだと思うからだ。

民間企業に務めるとか、個人事業を営むとか
所謂、民間は利益を求めるというのは、当然なのだが
市長・市の職員や政治家・官僚というのは、みな公僕なのだ。

個人の利益を最優先するのではなく、公に尽くすのが仕事。
民間で働く人間よりもずっと、安定した生活をおくれる保証があるのだ。

なぜなら、公僕というのは、個人の利益のためでなく
公の利益のための仕事だからだ。

なにも、個人の幸せを願ってはいけない
と言う話では断じてない。
ただ、彼らの仕事は、公に尽くすことなのだ。

公僕であろうと、家庭の幸福を願うことには何の問題もないのだが、
その仕事が個人の利益や家庭の幸福のために行われると
国家存亡の危機をもたらすことになるということだ。

政治家・官僚が、個人の利益や家庭の幸福のために仕事がしたい
そう望むら、公僕をやめ民間に勤めるしかないということなのだと思う。

今一度、個々人が何のために働いているのか?
このことを自分自身に問い直す必要があると思う。

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