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東京旅行記(1)国分寺

新卒の頃にはじめて配属されたのは中央線の国分寺だった。そのため、思い入れのある土地ではある。旅行、なのかはわからない。

国分寺。

最後に寺がつく吉祥寺のような駅名は、その駅名の由来が「寺」であることをつい忘れてしまう。

国分寺は、国分寺市のように行政区画の名前も国分寺だ。

神社は検定を受ける程度には好きだが寺にも仏教にも一切興味がない。ただ、地域史には最近興味があり、各地の民俗博物館が楽しく、地域史に関心をもったので、散策してみることにした(最近は、運動不足解消のために土日はかなり歩くようにしている。)

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そもそも国分寺とは何か。かつて聖武天皇の頃に天然痘が流行ったことがあった。

長屋王の祟りといわれて、藤原四兄弟がなくなるなどし、天皇としてなんとかする必要があった。当時の最新の科学とは仏教に代表される宗教だったので、聖武天皇は仏教に帰依し、国内66カ国にそれぞれ国分寺を造ることを命じる。聖武天皇はそれだけでなく、遷都も行うなど、最新の科学を駆使した天皇だったのだ。

中央線の国分寺は、武蔵国の国分寺だから、武蔵国分寺であり、国府があった府中に隣接する。国分寺駅から徒歩30分、西国分寺駅から徒歩15分くらいの位置に国分寺が現存する。

西国分寺駅は武蔵野線への乗り換えで府中本町に向かう際に度々使っていたけれど、下車したのは同僚が開催した映画の上映会のときだけで、実は駅前以外を訪ねたことがない。

15分くらい歩くと、国分寺があった。寺社仏閣はそれにふさわしいところを精査して建てられる。実際に訪問してみたら素晴らしい場所だった。

雨の国分寺薬師堂
国分寺本堂

個人的に、予想せずとても感動したのが、国分寺の中には植物園がある。万葉庭園という。

なんの事情があるのか

万葉集は、学部時代にテキストとして買った記憶はあるけれど、詩歌を愛でる志向はなく、1つも理解できなかった。600年代後半に編纂されたもので、万葉とは万世、ずっと残ることを目指した歌集だ。

そこには、その当時の植物の名前なども登場するが、この国分寺には構成の人々が万葉の植物を集めたようで、たくさんの立札が由来と句で埋め尽くされている。これは斬新だった。

また、国分寺なので良い立地にある。当時は平城京のように周囲に四神を配当する立地が良いとされていた。

四神を意識しているから、ここにも素晴らしい水があり、「お鷹の道」という散歩道がある。お鷹とwater(をーたー)をかけて「おたカフェ」などもあり、この近辺は名水百選にも指定された源流がある。

名水カードの場所も訪ねた


先日、稲城、府中あたりを散策したが、都内でも少し外れると豊かな自然があってよい。

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