逆流の快楽

 そういえば、もう何年も〝仕事をサボる〟ということをしていない。「そりゃあ社会人だし当たり前だろう」と思ったあなたは、サボるということの名状し難い快楽を知らないのだろう。それってちょっともったいないと思いますよ。

 20代のころ、僕はアルバイトで生計を立てていて、社会にコミットする気など一ミリもなかった。バンド活動と読書で忙しかったのだ。本当は働いている時間など無いのだけど、働かないと家賃も払えないし、メシを食べることも出来ない。しょうがないから最低限生きていける程度に働こうというモチベーションであった。簡単に言うと、労働の意欲が絶望的に欠如していた。なので、どうしても気分が乗らないときはアルバイトをサボった。主な理由として以下が挙げられる。

  • 労働の意欲がゼロで動けないとき。

  • 寝坊してしまって、始業時間に明らかに間に合わないとき(なぜか遅刻のほうが欠勤より罪が重いと思っていた)

  • 雨が降っていて外に出たくないとき。

  • 付き合っていた女性にフラレて悲しいとき。

  • 観たい映画の上映が今日で終わってしまうと気がついたとき。

  • 朝の占いで自分の星座が最下位だったとき。

など、その理由は多種多様だが、一方でサボる口実は、風邪っぽい、親族の不幸くらいしかない。まぁ欠勤連絡を受けている人も「サボりだな」と気付きつつ、確たる証拠がないため電話越しに暗黙の了解で心が通じ合い、サボりが成立されるのだ。

 本当に、何回サボったか分からないが、自分にはどうしても忘れられない、素晴らしきサボりがある。
 それは、西新宿のコールセンターで電話営業のアルバイトをしていたときのことだった。組んでいたバンドのギタリストも同じ方面でアルバイトをしており、出勤前に僕たちはビルの隙間にある小さな公園で待ち合わせ、ベンチに座りながらBOSSの缶コーヒーを飲み、タバコを何本か吸ってから出勤していた。
 ある日の朝、いつも通りおなじみの場所で談笑していて、不意にふたりとも働く気分ではなくなった。僕たちは目と目で「今日はサボろう」と会話し、各々が喉が少々ガラガラになって風邪をひいたような演出をし、今日は休みますと連絡を入れた。

 朝、8時30分。雲ひとつ無い青空。暑くもなく寒くもない、穏やかな秋の日。始業30分前にして、働くという憂鬱からくるりと翻って自由を手にしたのだ。周囲にはスーツの群れが革靴の重い足音を立てながら、西に向かって行進している。僕たちはそのスーツの群れをかき分け、逆流した。社会からの逆流であり、死へと向かう道からの逆流である。そして古びた喫茶店に行き着いた。
 メニューを一瞥し、僕たちはモーニングを頼んだ。カリカリに焼けた厚切りのパンにバターを塗り、熱々のアメリカンコーヒーで胃に流し込んだ後に、なんというか、得も言われぬ幸福感も体に流れ込んできて、最高の気分になったのだ。

 「今日は生産的なことは何もしないぞ」と僕たちは誓いを立てた。そして山手線に乗り、ギタリストが住む西日暮里へ。カップラーメンなどの食料を買い込み、僕たちは一日中将棋を指していた。生産的なことは何もしない、ということの結論が将棋だったのだ。一体何局指しただろうか。気がつくと夜が訪れていた。僕たちは鈍い頭痛と心地良い疲労を感じながら、暗い住宅街を散歩しつつ、今日は本当にいい一日だったとお互いを称え合っていた。

 この時に感じた自由、疲労感は、本当に素晴らしかった。おそらく僕は、もう二度と、同じ気持ちを味わうことは出来ないだろう。なんだか、ちょっと寂しい気がする。

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