SEOなんて本質的に空しい
以下の記事を拝見して考えたことなどを短く書きます。
AIによって何かが「無駄」になる?
このような主張は方々で散見されるのですが、私は全面的には賛成しない立場です。
まず、「検索」に関しては、google検索は生成AIに対してまだ充分に優位であると考えています。
参照先の記事では、検索で出てこなかった情報がAIだとすぐに……といった事例が紹介されていますが、これがうまくいったのは「設定ファイルを作る」という生成AI向きの課題だったからでしょう。一般論で言えば、生成AIの検索ツールとしての性能はまだまだ未熟と言わざるを得ません。比較的検索向けのチューニングがなされていると言われるCopilotですら例外ではありません。つい先週「おすすめのPC」をCopilotに尋ねてみたところ、たった一つのウェブサイトの情報をまるまるパクったような答えをよこしましたよ。
そして、「マーケティング」が無駄になるとも思えません。生成AIがどこからネタを拾っているのかを考えれば結論は明らかでしょう。AIをまともに使えば、検索したときにネタ元のURLを出してきますよね。そこに出てくるような、まともで有用なサイトを作ればいいんじゃないの? それって、「コンテンツマーケティング」が従来から目指していたはずのものじゃないの?
そもそも「SEO」は何を目指している?
SEO……というか、ここでは括弧をつけて「巷で言われるSEO」とでも表現しておきましょうか、これは結局のところ本質的に対症療法に過ぎないと思うのですよ。
googleにどうやったら気に入られるのかだけをあーだこーだ考えているだけで、何のために誰のためにってのが疎かになってませんか? しかも、その「どうやったら」の部分は多分に推測で成り立っています。この前何やらgoogleの検索アルゴリズムに関してリークがあったという記事がありましたが、あれだってどこまで信じていいのやら。また、リークした情報は全体の何%なのやら。
そもそもgoogleが掌返ししたら何もかも終わりですよね。
その点に関しては確かに「巷で言われるSEO」は「ぜーーーんぶ、無駄になる」可能性はあるでしょうね。
でもそれって元の発想、括弧つきの「SEO」がおかしかっただけじゃないのかなあ。
邪心なく「いい記事」を書けばいいよ
googleは昔から、「ユーザー(読者)の役に立つ信頼性の高い情報を十分に提供せよ。そうしたら高く評価する」と言い続けていると思います。
件のリーク記事では、その主張も嘘だった的なことが示唆されていますが、それは結論を急ぎすぎていると思います。運用面での判断として、喫緊の問題に対処するためにちょっと公式説明と食い違う実装を入れるということ自体はそれほどめずらしいことではないはずだし、それは必ずしも長期目標を否定することにはならないでしょう。公式説明がいうgoogleの目指す方向性が合理性を欠くとは思えません。むしろ至極当然のことばかりです。
それが「AI時代」になって変化するんだろうか? とてもそうは思えません。
我々に出来て、また我々がやるべきなのは、結局のところ想定読者が読んで幸せになるであろう有用な記述をふんだんに詰め込んだ「いい記事」を書くことに尽きるのです。二転三転する世の中の事情に振り回されるべきではないでしょう。
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