教えてくれた人がいたって話
自分にnoteを教えてくれた人がいて、その人たちが今はもうnoteをやってない、またはアカウントすら消えていることを最近気づきました。
彼、彼女はどうしてるんだろう。あんなに美しい文字を生み出していたのにと少し落胆した。
何かをやめることや消すことや捨てること、過去の私は出来なかったけど今ではそれが大事だとわかる。
なぜなら本当に大事なものは必ず戸惑うし捨てる意思を持たない。
悩まないし、迷わない。
悩んだとしてもいやいやいるわやっぱってなる。
その人もnoteは何か手放したい、消したいところがあって、それを実行した。
だけど何回捨てても、結局人は何かをまた拾う、始める。
何もしない時間は、後ろからくる恐怖を誤魔化せないから。
noteを捨てて、新しい何かに出会えてることを祈ってます。
ではまた。
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