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親友の死は、僕に勇気を与えてくれた
どのようにイタリアへのアプローチをしたらいいか迷っていたが
思わぬところから糸口が見つかった
なんと、母の知人宅にイタリア人の方を留学ホームステイさせていたというではないか!
ヴェネツィアのカフォスカリ大学を卒業したエレナさんという方でした
(カフォスカリはヴェネツィアにある日本文学や日本語の学科のある短期大学です)
イタリアへの突破口を探し始めてわずか10日間という短い時間で巡り合った
しかもそのエレナさんの知り合いは "Buon Ricordo:ブオンリコルド" というレストラン協会の方というチャンスが転がり込んできた!
かくして、初の海外・初のイタリアの行き先は "ヴェネツィア" に決まった!

ロシア経由のアエロフロート、ローマ行き

パスポートも準備ができて、航空券も一番安い2ヶ月のオープンチケットを購入した
エレナさんはパドヴァ在住のため、初めての海外渡航で会話もできないままローマからヴェネツィアのメストレという町まで行かなくては行けなくなった
購入した航空券はエレナさんとお会いする日の10日前にローマに到着する
到着後の3日間、イタリアに慣れるまでイタリア料理のバイト先で知り合ったラクイラ在住のデボラさんのお宅にお世話になることになった!
(ラクイラはローマから西へ中距離バスで約1時間、アブルッツォ州の町)

このように、思っていたよりすんなりとイタリア行きの準備が整い始めた
これは運命か?ここまでトントン拍子は、全て決まっていたかのようだった

イタリアへ向け準備をする

準備は着々とすすんだ
パスポート、航空往復チケット、現金10万円、下着類3日分、筆記用具、カバンは海外で盗まれるのを防ごうと思い肩掛けカバンに決定
本当に身軽な装備だった
服装も白ティーシャツ、ジーンズ、革のブーツ、Schottの革ジャンパー、かなり身軽だった
ん?近郊に1泊の旅行?というぐらいの身軽さ!
唯一のおしゃれ?というか、ひとり放浪する代名詞である(と個人的に思っていた)バンダナを巻いて出発する体制は整った

出発の日は雨だった

私の生まれた大宮は、その当時から成田空港までの直行バス便があった
価格もだいぶ安かったので、僕はバスで成田空港まで行くと決めていた
出発当日はあいにくの雨、どんより曇り空、僕の心も同じように正直不安で曇り空のようだった覚えがある
家の中もしっとりしていた
出発準備ができたので玄関で革ブーツの紐を結んでいると父が近寄ってきた
「何か掴むまでは帰ってくるなよ」と一言
僕は口を結んだまま軽く会釈をして玄関をでた
「絶対に帰ってこない!何か掴むまで帰ってこない!」と胸の中で叫んでた
大宮駅の成田空港直行バスのバス停まで車で送ってもらった
母親は心配そうに「気をつけていってらっしゃい」とバスが出るまで見送ってくれた
小雨がバスの窓に打ちつけ、湿気で曇りガラスになる中、大宮を出発した

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