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文章はブーメラン

昨日の「自戒込めて野郎」の話の続き。もう1つ「自戒を込めて」という表現に感じる違和感がある。それが、自戒って込めるものじゃなくて、込もるものじゃね?ということ。

わざわざ「自戒を込めて」と言うということは、何も言わない時は、自戒を込めてないということですよね。というか、自戒を込めないと自戒は込もらないと思ってるということですよね。

これが違う。自戒って自動的に込もっちゃうものだと思う。全ての発言が、自戒だ。

日本を代表するYouTuberコムドットのリーダーやまとさんのTwitterプロフィールを見てほしい。「Twitterは自戒」と書いてある。

さすがコムドット。さすがやまとさん。僕も同じ立場です。わざわざ「自戒を込めて」なんて言わなくても、全ての発言が、全てのツイートが、自動的に自戒になる。

「締め切りに遅れるライターなんてけしからん」とツイートしたら「そういうあなたは締め切りを100%守ってるんですよね?」と問われるし、「女のくせに〇〇と言われた。まじありえないんだけど」とつぶやいたら「え?あなたも男のくせに〇〇と言ってません?」と突っ込まれる。

ツイートを見た全ての人に問われる可能性があるし、何よりも、書いた自分が自分自身に問うことになるのだ。

書くという行為は本来、とても怖いもの。全てのツイートは自戒であり、全ての文章はブーメランなのだ。

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