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逃男 #3 『 同棲失恋 』

 半同棲していた、人生初めての彼女に振られた末に出て行かれたのは、当時僕が21歳の2014年の大晦日のことでした。

 2015年の元旦の昼前、町行く人は恋人や家族、友達を連れ神社に足を運び初詣をしている頃、元彼女の荷物が僕がバイト中に影として全て消えたアパートの一室の布団の中でうつ伏せの状態から身動きが取れずにいました。
 何かに身を拘束されていた訳でもなく、目は完全に覚めていました。時折、空腹に襲われることもさながら、膨大な無気力のせいで、全ての感覚はほぼ「無」に向かっていました。その時期なら有難いはずの太陽の日差しは、消え失せたいと思う僕を現実世界に引き戻そうとしているかのようで、閉じたカーテンの隙間から差し込む優しい日差しを何とか身をよじり避け、視線の先にあった床にある目覚まし時計をいつまでもぼーっと眺めていました。
 アルバイトが始まる午後1時が近づくと、ようやく体に脳からの信号が行き届くようになり、何とか気力を出す為に枕の近くに転がったiPodを手繰り寄せては、Youtubeを開き、間違えて元カノのお気に入りの曲をかけないように気をつけながら、1ミリも趣味じゃないロック音楽を一曲聴き、布団から起き上がり、顔だけ洗い、寝巻きのまま、庭から自転車を取り出し、死にたいと呟きながら、バイト先に向かってよろよろと自転車を走らせました。

少し時間を戻らせます。

 1年間の浪人生活の末、僕は一択で目指していた神奈川大学建築学科の特待生枠に合格しました。その制度というもの、大学4年間の学費総額に対し給付金を使って80万円のお釣りが来る上、入学後の拘束条件等は一切ないということだったので、合格した瞬間からもう好きなことだけ勉強しようと決めていました。
 特待生として入学した僕は鼻が高くなり、自分を天才だと思っていました。ほとんど友達を作らず、基本的に一人で行動する部分は高校時代と変わらなかったものの、自分で立てた長期目標を達成でき、格段に自由な環境と自信を手に入れた僕は人生が楽しく感じて仕方がありませんでした。
 専攻の建築には興味が殆どなかったので、本来出席するべき授業には出席せず、数学や哲学の授業を受けてみたり、学外では異性との出会いを求めてボランティアに参加したりしました。お金は貯めるべきものだと考えていたので、80万円には手を出さず、大学へは実家から2時間かけて通い、貯金が減ってきたら短期バイトで元に戻すというルールで過ごしていました。
 高校の先生を始め、多くの大人が高校生活が人生で最も楽しいと言いました。高校生活を一瞬たりとも楽しいと感じたことがなかった僕は、それを聞く度に不安しかありませんでしたが、大学に入学し不安は消えていました。

 当時の彼女に出会ったのは大学2年生が始まった4月の頭でした。

 毎年その時期になると、大学内に新しく入学した新入生を対象とした個別相談室が設けれていました。そこでは新入生が上級生のボランティアスタッフに大学生活にまつわる相談ができる、というものでした。ボランティアは4月一杯毎日朝9時から夕方6時まで行われ、スタッフは自分の授業の空き時間に自由に参加できました。
 虫が光を求めるように、鼻が高くなっていた僕は人に教えることを求めていたらしく、そのボランティアに参加させてもらってた時間はかなり活きいきしていたと思います。加え、ボランティアスタッフとは男女も年齢も問わず、本当に沢山の人との繋がることができました。何より心地よく感じていたのは、そこにいた人の殆どが初めましての関係だったので、高校のクラスにあったような、偉い人たちの空気を読むという必要がなかったことです。高校生活でイケてないグループのその下にいた僕には、それはもう戸惑うくらいイケている世界でした。

 地下から地上に這い上がった勢いはすごく、自信が功を成してか、ボランティアに参加していた同い年の彼女ができました。

 完全におれイケてる。

 自尊心がこれまでにないほど高まった僕は、より多くを求めました。
当時の彼女と同棲するために、ついに貯金の80万円に手を付け、大学近くの庭付きロフト付きのアパートを借りる事になります。

つづく


 

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