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逃男 #1 『 大学受験 』

僕らの店を襲った事件から2週間、コロナによる感染拡大が落ち着き、戻り始めていた客足は事件を機に激減しました。予想していなかった膨大な時間とそれとに比例する量の不安が僕らの前に横たわる中、この時間を利用して、僕自身の過去を自ら振り返った文章を「逃男」というタイトルで毎週このノートに連載という形で纏めていきます。成功よりも、逃げる場面が多かった僕ですが、同じく何かと戦っている誰かの為になりますように。そして、ぜひレストランに食べに来てください。

今回は第一回、高校時代について書きました。

遡ること高校3年生の9月、他の同級生達が各部活の最後の大会を終え、続々と部活を引退し大学受験に向けて塾に通い始めている頃、僕は地元のマクドナルドのバイトでほぼ毎日放課後の時間を埋めていました。勉強が全く好きじゃなく、卒業後は「死なないように生きられれば良い」と誰よりも広義な目標だけ掲げて日々を送っていました。

きっと多くの高校でもそうであるように、僕のいたクラスは運動部&元気系グループとヤンキーグループ、そして残りのイケてないグループで構成されていて、僕はイケてないグループ所属でした。いや、所属というよりかは一人ぼっちでいるよりかはまだマシだろうとか、何か課題でグループを作らされる時の駆け込み寺として捉えていて、実際にはイケてないグループにも属さない最下層枠にいる子でした。休み時間は席から立たず、本を読むか、机に突っ伏して寝てるかのどちらかでした。勉強も全く好きじゃなく、授業中は黒板よりも、黒板の上にかかっている白いアナログ時計の長針ばかりを見ていて、完全にただの落ちこぼれの、現在時刻にはクラスで一番詳しい生徒でした。

放課後、学校から開放されてからは自転車を漕いでバイト先のマクドナルドまで通っていました。僕の担当はキッチンでハンバーガーを作る仕事でした。夏だった当時キッチンの中は暑くて、ハンバーガーの肉やポテトの油の匂いで最初こそ大変でしたが、慣れてきて自分スピード上がるにつれ、職場のバイト仲間や店長さんからの感謝のお言葉が、日中の高校生活で空いた心の隙間を埋めてくれていました。また高校の授業とは違い、働いた時間だけ時給という数値で口座に貯まっていくのが可視化されるのが好きで、これと言って必要な出費があったわけでもなく、只々蓄積されていく貯金額を見ては満足していました。

高校の話に戻ります。

高校のクラスの「空気」というのは当時友達がいないかった孤立した僕にさえも常に絶大な力を放っていました。例えば授業中に笑いが起きれば皆が釣られて笑い、少し静かになると皆釣られて慌てて黙る、というような。その「空気」というのは決まって上記でいう運動部&元気グループかヤンキーグループの誰かが作りだしていました。その「空気」が読めずに、笑うべき「空気」の時に笑わなかったり、静かな「空気」に急になった時に話し続けていた人がイジられて、それが笑いを生んで一段落、みたいな。当然、その「空気を読めなかった人」がイケてる系に属してい人ならば、その彼は「笑いを生んだヤツ」として更なる人気を得るわけですが、僕含むイケてない側の人間の場合は事情が異なります。むしろさらに「イケてない奴」になり、場合によってはキモがられます。僕はその法則がクラスを支配しているということは他人を例に学び得ていた上、「空気を読めない奴」になってしまうことは何より恐れていたので、友達がいないのに空気だけは常に読んで、静かに過ごせる環境を守り続けてました。

毎年9月半ばに行われる高校の文化祭が終わり、受験に備えてイケてるグループもイケてないグループも本格的に勉強に打ち込み始めました。クラスの空気が受験を控えた緊迫感や勉強による疲れ、受験という共通目標を目指す一体感がひしめき合うものになりました。そう、「空気」を常に敏感に察知していた僕はこのタイミングで「空気」を読んで自分も大学を目指すことを決心しました。とりあえず国公立大学のどこかに入れれば学費は安く済むため親に借金をせずに通えるだろうと、甘い考えからのスタートでした。

思い立ったら吉日、塾には通っていなかったため、近所の塾で一般向けに開催されるセンター試験の模試に応募して早速受けました。結果は、惨敗。。あれだけ我慢して3年間毎日教室の椅子に座り続けたのに、僕の頭には、模試が話題にしているテーマに関する知識が微塵も入っていませんでした。返却された模試の成績を見ると、国公立大学は愚か、それ以外の県内の私立大学も全てE判定(合格ほぼ不可能)でした。

大学生になるどころか、知能が低すぎてこのまま社会にでても役に立てないのではないか。。。激しい不安に襲われました。

一晩考えました。このまま大学を諦め社会に出ようかとも考えました。しかし、高校の教室という狭い浅い世界で僕が得てきたものはあまりにも頼り無いものでした。さらにイケてるグループの同級生が進学して、もし自分の上に立とう物なら、また僕は彼らが作り出す「空気」を読むような人生を再び繰り返すことになる。これじゃまるで奴隷じゃないか。将来どんな自分になりたいかは分かりませんでした。が、「避けたい未来」のパターンはいくつか明確に想像できていました。

何としてでも大学生になる作戦を考えました。しかし条件は厳しいものでした。まず(1)僕は三兄弟の長男であったため学費面の問題で塾に通うことや私立大学への進学が不可能だったということ、(2)そもそも授業中に時計しか見ていなかったため学力が皆無であったこと、(3)当時すでに高校3年の9月末だったため1、2月の入試シーズンまで残り4ヶ月しかなかったこと。

(1)に関して県内の各大学の入試制度について調べ漁ったところ、なんと神奈川大学という私立の大学が3教科のみの受験でOKで、しかも年内12月末に開催の入試で満点近くを取ると4年間毎年120万円大学から支給され、かつ1年目の学費が全額免除になるという制度を持っていました。(今もあるのかはわからないけど。)早速電卓を叩いたところ、 神奈川大学の年間の学費は125万円だったので、4年でかかる学費は入学金合わせて大体400万円。大学が支給してくれる額は480万円と出たので、まさかの80万円の黒字となることがわかりました。「もうおれはここに行く」と、図書館の調べ物用デスクトップの前で興奮気味に呟いていました。

そうと決まれば次は(2)(3)の課題にぶつかります。僕は限りある時間をなるべく勉強に当てないといけなかったので、お世話になったマクドナルドのバイトを卒業し、さらに高校の授業も欠席するようになりました。厳密には、授業は単位制だったので留年になるリスクもありました。なので欠席上限数のギリギリまでは欠席し、図書館の自習室で開館から閉館まで勉強しました。成果は目に見えて出て、高校の定期テストの数学400人中前回の結果が最下位から3番目だったところが、11月半ばの定期テストの結果で上位2位まで持っていけました。点数として結果に出るのが嬉しくて、僕は勉強が楽しいとさえ感じるようになっていました。

これなら、目標通り神奈川大学の特待生になれるかもしれない。期待は膨らみます。しかし、教室の「空気」は出る杭の存在を許しません。

そのテストが返却されてから、「空気」を作っているイケてるグループからの嫌がらせが始まります。。

つづく

僕のインスタグラム: https://instagram.com/koji0gawa?igshid=rqx0k5r1gkxf

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