見出し画像

子供が生まれ、僕は自由になった

今年の2月、子供が生まれた。43歳にして待望の第一子。女の子。
人生の価値観というと大袈裟だけど、日々の優先順位は大きく変わり、娘のお世話と妻のサポートが今自分の中でとても大切なコトになっている。
日中は仕事をしている都合上、やはり「一緒に子育て」とはいえ、妻がメインになっている。これはもう仕方ないとしか言えないのだけれど、仕事の時間を調整しつつ、また起きる時間や寝る時間なども調整しつつ、彼女たちが第一になるように調整している。

こんなにも早く成長していくとは、実感がなければ理解できなかった

子供の成長は早い。子育てをしたことがある人なら、誰しもが口にする言葉。でも、実際に経験して見ないことにはそのスピード感というのは理解ができなかった。
現在、4ヶ月。確かに早い。
ひと月前に思い付いたかのように口を鳴らして遊び始めたかと思えば、気付いたらもうやっていない。違うことをやって遊んでいる。
アウアウアーと言葉にならない言葉を投げかけていたら、いつの間にか真似をするようになり、これもいつの間にかバリエーションが多くなり発声を楽しんでいるように見える。

寝返りにもいくつかの段階があるようで、なかなかできなかったところから横に向けるまでになっていた。そこからさらにうつ伏せになり、下になった手を抜くというのも一つのハードルのようで、まだそこまでには至っていない。でも、少しすればできるようになるんだろうな、と思っている。

ミルクを飲ませるたびに体が大きくなり重くなったことを感じ、写真を見返すと体の大きさは顕著に変わっている。

母乳とミルク。この2つの液体から栄養を摂り、3ヶ月で出生児の2倍の体重となり、ますます成長している。

仕事と子育ての優先順位を考えるのは、甘いのかもしれないけれど

僕は、自分で会社をしている。僕一人だけ、社員はいないので個人事業と変わらないと言えば変わらないのだけれど、まあ自分でやっている。
子育てに時間を当てるということは、その分を仕事に時間を当てないということでもあり、もちろん自分の稼働のみが会社の売り上げとなり自分の給料のベースとなる。

娘が生まれるまでは21時から22時くらいには仕事を終えていたのを、出産後に妻と娘が妻の実家から帰ってきた生後1ヶ月過ぎから、19時には仕事を終わりにして帰宅している。
まずは娘をお風呂に入れるという重要な任務があるからだ。
実際のところ、それがどれほど役に立っているかはわからないけど、妻曰く「ひとりで娘と一緒にいるより家にあなたがいてくれるだけで全然違う」と言ってくれている。娘がぐずっている時、なかなか寝つかない時、やはり一人だと自分のやり方が間違っているのかと少し責めてしまう気持ちが出てきたり、余裕が無くなったり、そんなことがあるらしい。
僕がいることで、それが少しでも解消されるなら役割としては大したもんだ。

僕は子育てに参加することがとても好きだ。その分仕事の時間が減り当然売り上げも下がるのだけど、娘の授乳期の一日一日をしっかりと見ていたいと思っている。その成長するひとつひとつを見逃してまで、どのくらいの金額を稼げばそれを見逃してもいいと思えるかと考えると、やはりお金には変えられない大切な時間だ。今しかない、今を逃したら後戻りができない貴重な瞬間の連続。
もちろん多少なり貯金はある。会社から自分への給料と言うのは払わなければいけないので、こちらも多少なり会社の貯蓄はある。ここから1年、仮に売り上げが7割に下がったとしても、たぶん大丈夫だろう。増えはしなくても、今までに積み重ねてきたその稼ぎを、自由を獲得するために使えるとしたら今だし、本望だ。
人生の中で、自分の自由以外で優先したいものなどなかった。それが今、ある。妻が中心に子育てをしてくれているのは本当に頭が下がるし、替わることはできない。ただ、サポートすることはできるし、娘のお世話をするのはもちろん妻のほうが長けているけれど、妻をご機嫌にさせ、話を聞き、料理をしたり、まずはただそこにいたり、妻をいい気分でいさせることは誰よりも得意だ。間接的ではあるけれどそれは妻の子育てにもプラスに働くし、それもひとつの子育ての方法だ。それを自分の中では、良いコトだと考えている。
できることしかできないけれど、できることをちゃんとする。それに尽きる。

子育てを優先するという自由

子供が欲しかった。そして、娘を授かった。サポート係とは言え、子育ては大変だ。妻が根つめすぎないようにほぐすのも、まあまあ大変だ。しかし、それは僕の自由意志の結果だ。
子育てをすることで自由がなくなると思う人も確かにいるだろうけど、僕は子育てをする自由を手に入れた。欲しかったコトが手に入り、今その渦中にいる。

娘に見せたい景色がたくさんある。連れて行きたいところも、一緒にやりたいことも、たくさんある。まだまだ想像の域は出ないが、これからやりたいことがたくさんある。

生まれてから4ヶ月。彼女はこれから、初めてセミの声を聞き、夏の暑さを感じ、食事の楽しさを知る。

生まれてからの3年間でどれだけ愛情を受け取ったかで、記憶にはなくともその先の「愛されている安心感」の礎になるという。
ここで全力で愛情を注ぐことをとても大切に思うし、それもまたやりたいことの一つだ。

妻がいてくれて、娘が健やかに育ってくれて、それを守りたいと思える。それは、最高の贅沢だ。
いつか自分で人生を切り開いていくその時まで、できることは全部やりたい。一緒に遊べるのは、小学校を卒業するまでの12年間くらいかもしれない。そのうち、くさいだの嫌だだの言われるかもしれない。
でも今は、ただ愛を注ぎ、純真無垢に笑顔で手足をバタバタさせて喜んでくれる。人生のボーナスタイムだ。

自分で仕事を始めて約15年。夜も、週末も、必要であれば仕事を優先してきたけれど、優先順位が変わった。戸惑いもありつつ、そんなパラダイムシフトを楽しもうと思う。いつかまた仕事を優先する時がきたら、またシフトすればいい。

今は、娘のお世話と妻のサポートが、僕の自由だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?