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目が覚めたら足が速くなっていた話

私は、身体が小さくて、人前で話が出来なくて、自分の想像の中で遊ぶ子どもだった。
鉄棒も縄跳びもマット運動も跳び箱も苦手で、運動会の雰囲気はきらいじゃなかったけれど、居場所がなくて退屈だった。
8人で走る徒競走は走り終わると、1等賞は赤、2等賞は緑、3等賞は黄色、4等賞は青、5~8等賞はピンクのリボンを係の大人が胸につけてくれて、それはお弁当を食べるときも、閉会式の後も外せなくて、家に帰るまで私にはピンクがヒラヒラしていた。そこに恥ずかしさも悔しさもなくて、御用邸の海で拾い集めたさくら貝と同じ色なので、どちらかというと気に入っていた。

私の両親はどちらも運動神経が良かったので、なぜ娘は足が遅いのか、体育の成績が悪いのか、とても悩んだそうだ。
書類入れになっているお茶の箱に座布団を乗せて、跳び箱の練習をさせられた。壁にぶつからないように家の玄関から廊下を走ってリビングのお茶箱を跳ぶのがとても怖くて、ますます跳び箱が嫌いになった。曲がりくねった助走は、跳躍の勢いの邪魔をするし、ゴールが見えないと不安になる。

4年生の時に、町に新しい小学校が出来て、私たちは12クラスの遠くて古い学校を離れて、3クラスの新しい学校に通うことになった。
新しい担任の先生は、自分が思うこと、話してごらん。勇気を出して話していいよ。と、いつも私の連絡帳にメッセージを書いてくれたけれど、私は皆になにを話せばいいのかわからなかったし、頭の中にいろんな考えがたくさん出てくるから、それを順番に話すのは大変だなあと困っていた。

私はある晩、夢を見た。物凄く速く走れる夢。腕を大きく振って、足が前に弾む。夢だとわかっているのに、楽しくて気持ちよくて、ずっと走っている夢。
見た夢の話を翌朝さっそく、一緒に登校する幼馴染みのオコちゃんに話した。オコちゃんは私より少し足が速いが、私と仲良くピンクのヒラヒラ組だ。そして、私と一緒にピアノを弾いたり、マンガ交換日記をしたり、雀を追いかけたり、おたまじゃくしを取ったり、屋根の上でシャボン玉をしたり、一緒にカレーを食べたりお風呂に入ったり、お隣に住んでいるからいつでもなんでも出来た。
オコちゃんは、給食の時間に担任の先生に私の夢の話をした。そして、「お昼休みに冷茶が走る!先生、タイムを計ってみて!」と大胆なお願いをしたのだ。先生は私に、「やってみよう!きっと速くなっているよ、大丈夫、大丈夫」と、牛乳をごくごく飲んで笑った。オコちゃんは給食を食べ終えると、あっという間に職員室からストップウォッチを借りてきていた。

お昼休みの皆がドッヂボールをするコートのずっと後ろの鉄棒の横にスタートラインを引いて、よーいドンで花壇に向かって私は走った。大きく腕を振ってビュンビュン走ったけれど、いつもより速いのかは、わからなかった。ゴールしたときに、先生とオコちゃんと花壇の花に水を撒きに来ていた校長先生が、ストップウォッチをのぞきこんで興奮して拍手をしていた。すごい、すごい、と校長先生が頭を撫でてくれた。

私はその半年後の運動会から、高校3年生まで、毎年リレーの選手に選ばれた。クラスリレーの後、ブロック対抗リレーに出る人になった。私の運動会は忙しくなった。
大人になったオコちゃんと小学校の校庭まで散歩に行ったときに、ねえねえ足が速くなる私の夢の話なんだけどって聞いたら、全然覚えてないと言うし、そもそも私が人前で話が出来なかったことすら嘘過ぎて信じられないと笑う。冷茶はいつも足が速くてかっこよかったよと言うので、どこからどこまでが夢の話なのかわからなくなってしまう。
足が速くなったら人前で話が出来るようになった。人前で話が出来るようになったら、苦手な理科も宿題を頑張れるようになった。
私はたぶん、全力で走ることや夢中で話すことを知らなかったんだと思う。なんでそんなことしないといけないのかなあ、ということばかりにいつも気が向いてしまい、想像のなかで理由もわからずに頑張るのってなんか変なのってすぐに座り込んでいた私がいた。だから、やってみたら気持ちが良くて、楽しくて頑張れるきっかけをくれたオコちゃんと担任の先生と誉めてくれた校長先生には、一生足を向けて寝られない。(足の話なだけに。ってそんなオチはいらない)