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上を向いて辞めよう

私が所属する剣友会では、剣道の他にも習い事をしていたり、剣道以外の部活動をしている子どもが多い。過去に中途半端に剣道を辞めた私が言うのも変な話だが、剣道を辞めることを申し訳ないと下を向かず、防具をつけて稽古をした経験があると自信にして欲しい。

ミサちゃんは、剣道の他にピアノとバレエを習っていて、身体のしなやかさが自慢の小学生。中学受験を控えているので剣道を辞めることになったのだけれど、剣友会のお姉さんたちと離れがたくて、辞めたくないと泣いた。でもやっぱり剣道は大きな人に向かっていくのが怖いから、ずっと続ける自信はない、と最後は自ら決断した。最後に皆と試合稽古をしたときに初めて面が決まって、応援していた私の所に駆け寄り、面を外して涙を私の袴で拭いた。帰り際にミサちゃんのバレエが見たいと、年上の女の子たちのリクエストに応えて、クルクルと華麗に回転して、可愛らしいプリマのポーズでご挨拶をして、剣道の幕を下ろした。

ダイキくんは、おじいちゃんの勧めで剣道を始めた。物静かで几帳面で昆虫や星が好きな小学生だ。身体を動かしたり、大きな声を出すのは苦手だと言うが、先生のお話には誰よりも集中して聞いている。しかし、入会から2年半くらいして変化が起きた。ダイキくんがしばらく稽古に来ていないので、お母さんに連絡をしてみた。すると、今まで通りおじいちゃんはダイキくんを体育館に送り届け、帰りは友だちと帰るから迎えには来なくていいと、歩いて帰宅しているそうだ。稽古をしていなかったことに驚いたお母さんがダイキくんに話を聞くと、なんとなく稽古に行きたくなくて公園の木に登って稽古の終わりの時間までを過ごしたのがきっかけになり、1度休むと次も行きづらくてまた木に登り、その次からは木に登るために家を出ていた、らしい。「実は剣道だけではなく学校も、今は色々休みたい」とダイキくんが勇気を出して、隠していた気持ちを家族に吐き出して、退会した。

ジンくんは、どうしたら稽古のときに大きな声が出るだろうかという宿題に、身体の中の図を書いてきたユニークな小学生だ。身体を動かして竹刀を振る機能と、声を出す歯車が連携していないから声が出ないという図を持ってきたので、声を出す歯車を心や頭や肩甲骨に繋げてはどうかと提案したら、サラサラと部品を書き足して、これなら声が出せるぞ、と皆を納得させ拍手喝采を浴びた。学校生活では彼には特別な支援が必要で、彼の個性を伸ばすために中学受験をするということで、剣道を辞めることを決めた。退会の挨拶に来たときに、せっかくだから稽古をしてみる?と聞いたら、戸惑いながら頷いた。私が持参していた彼のサイズに合う剣道着に着替えて、支部長先生と先輩に、声変わりが始まった発声で切り返しと面を打って、ゆっくりと丁寧に頭を下げた。

リュウスケくんはとても小柄な小学生。両親の勧めで剣道を始めたが、本当は絵を描いたり、料理をしたいそうだ。「稽古に行きたくない」とリュウスケくん、「大丈夫、頑張って行きなさい」と、お母さんの毎度のやりとりに「私も一緒なら行けるよね!私も剣道やる!」と姉のキョウコちゃんが入会をした。中学生のキョウコちゃんは、剣友会の女児たちの面倒も見て、持ち前の運動神経と論理的思考で、めきめきと腕をあげた。すると、ますますリュウスケくんは剣道が嫌いになってしまったが、級審査に合格するまでは続けようとお姉ちゃんと約束をして、いつも引きずられるように稽古に来て、剣友会の元気な女子チームに背中を押され、見事2級に合格して引退した。キョウコちゃんは、勉強もちゃんと頑張るから、初段に合格するまで続けたいと目標を定めて両親を説得して、試合で男子にも勝利し、二段も受かりそうな立ち合いで初段の合格を貰って、女の子たちからの花束やプレゼントを抱えて写真を撮って、笑いながら泣きながら大きく手を振って退会した。

皆のお母さんたちは退会のご挨拶に皆を連れてきて、申し訳ありませんとか、不甲斐ないですとか、中途半端で、とか言いながら何度も頭を下げる。その側には、困った顔をして後ずさりする子どもたちがいる。それを見ていてここまで頑張って続けたことを誇りにしてほしいと、私は思う。夏は信じられないくらいの汗をかく、冬は冷たい床に足が痺れる。重い防具をつけて、大きな大人にも立ち向かっていく皆、偉い。ルールを破って大暴れをして辞める訳ではないのだから、子どもたちは「剣道をならっていたことがある」ってここまで続けてきたことを貴重な経験のひとつとして誇りにしてほしい。そしてどんなことが楽しかったか、つらかったか、笑ってネタにしてほしい。

「寂しくなるけれど勉強や部活、頑張ってね、一緒に稽古をしてくれてありがとうね、また遊びにおいでね」と子どもたちの頭を撫でる。支部長先生の交剣知愛は柔らかくてあたたかい。子どもたちは「ここで剣道を習ってよかった」と思ってくれるはずだ。