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先生ではなく、せんせーだからね。

私は先生じゃなくて、せんせーなので。
「い」は要らないんです。
いたらないから。
っていう私の掴みの挨拶。
そこそこにウケるので定番としている。

私は5歳でオルガンを始め、7歳からピアノを習っていて、高校生になっても近所のピアノ教室に通っていた。オクターブが届かない小さな手と短い指なので、ピアノの先生はクラシックの教本をやめて、私のためにスタンダードジャズやJポップの譜面を用意してレッスンしてくれた。
先生のお宅のリビングにはグランド・ピアノと立派な音響システムがあるだけで生活感は全くなくて、レッスンも運指のカノンや音感を育てるソルフェージュにも時間をたっぷりかけるので、品のいいお嬢様になれた気がするその時間が好きで、二十歳になるまで続けられたのだと思う。

だから、高校の部活見学会には興味がなかった。週1回のピアノのレッスンがあるし、学校までは徒歩20分だし、帰宅部になって日々を音楽を聴いたり本を読んだりして自由にだらだらと過ごそうと思っていた。
剣道部に見学に行くんだけど、一緒に行ってくれない?と廊下で私に声をかけてきたのは、小中と同じ学校の女子だった。
特別に仲がいいわけではないのに、彼女は私に声をかけたし、私は彼女についていった。
剣道の神様に呼ばれた瞬間なのかもしれない。(っていう台詞は、全国大会に出場するレベルの人が言えって、、)

格技場は柔道部と剣道部が半分に区切り、畳の敷いてない方で剣道部が稽古をしていた。面を外した先輩の凛々しく細い顎、手拭いで顔をすっと拭いた仕草が素敵で、気づいたら入部していた。入部したのは男子が10名、女子が12名くらい、だったと思う。
道場に通っている経験者がほとんどで、私のような未経験者は、野球部の後ろでひたすら声出しをしていたことしか覚えていない。
前年まで顧問をされていた剣道五段の先生が転任されて、次に顧問になられた先生はほとんど部活に参加されないので、私は誰にどんな風にどうやって剣道を教わったのか、よく覚えていない。

高校2年の夏までは、先輩に誉められたくて、たまに試合に出られるのが嬉しくて、部活帰りのマックシェイクが美味しくて、一生懸命に部活に勤しんだ。しかし、彼氏が出来た女子高生は、ひどく臭う格技場に向かうことが出来なくなった。やだ、せっかく髪型決めたのに面はつけたくない、繋いで歩く掌にマメは悲しい、奇声をあげてるところ見られたくないと、部活から足は遠退き、部室に残された防具にはカビが生えていった。

だから、大人になった私が剣道の稽古を続けていて、昇段したと知った同期には、OB会で本気で嫌な顔をされた。はー?今?稽古してんの?先輩に誘われて?あのとき真面目にやらなかったお前が?まじで?四段?せんせーだと?はー?と、OB会で怒られた。そりゃそうだ、部活サボってプラプラしてて、最後の引退稽古も行かなかったのだから。

小学生だった次男が剣道を始めたいと言い出して、私と中学生だった長男も一緒に始めることになった。高校の先輩方が稽古を始めたから見においでと誘ってくれたことがきっかけになった。(部活をサボってばかりのダメダメ部員の私が先輩方との縁が切れなかったことについては、「所縁」というタイトルの記事にしました)

私たちが通う剣友会は、父子、祖父と孫で一緒に稽古をするとてもアットホームな雰囲気で、剣道以外の習い事と掛け持ちをする子どもが多い。あくまでも勝ちに拘る、という雰囲気はない。拘っていたら、息子たちが引退した後に、私は続いていない。

私が三段に昇段したとき、支部長先生は私に、整列するときに指導者の列の末席に座りなさいとおっしゃった。四段から指導者になるが、三段に合格したら次の四段を意識しなさいと、指導者列に招かれた。
ポンコツ剣士の私は丁寧に丁寧にお断りをしたのだが、支部長先生は「こちらに座ると子どもたちの顔がよく見えるからいらっしゃい」と優しく微笑まれたので、私はとてもとても恐縮しながら、居心地の悪い指導者列の末席に座るようになった。

指導者は男性ばかりだから、来週見学に来る女の子にはあなたが面倒を見てくださいね、と初めての任務が与えられた。
女の先生がいらっしゃるなら安心かも、と保護者に期待されてしまい、男の子しか育てていない私は、子どもにかける言葉遣いに気をつけながら初心者をお迎えするようにしていたら、その後に女の子たちの入会が続いて、支部長先生に誉めていただいた。

「先生と呼ばれることで学ぶことがある、見せなければならない背中がある、だからあなたは濃炭先生と呼ばれなさい。濃炭くんのお母さんではなく濃炭先生として、こちら側から物事を見て、剣友会の運営に力を貸して欲しい」
支部長先生はうちの剣友会では三段の大人は指導者の中に入ってもらうと慣例を変えてしまった。先生方と並ぶのは居心地悪いし、何度も四段を不合格になって情けなくて、いつもお尻がムズムズしながら整列している。私の隣に座るようになったリバ剣の60代、30代の男性と一緒に、いまだにムズムズしている。ムズムズ隊を増やしたくて、リバ剣、初心者、親子入会大歓迎のHPを作った。

女の子が退会をするときは、送り出し稽古で私と試合をするのが、いつの間にか恒例となった。
送り出されていく女の子を大将にして女子が6名とか7名とかのチーム対おばちゃんの私。
これ、しんどいし、難しい。
防具をつけたばかりの子も私と試合をする。手を抜かずに大人げなく勝ったらだめ、かと言って手を抜いて負けないでと子どもたち、保護者に言われている。先生方はそれをどうクリアするかを楽しんでいる。
「せんせーを倒せー!」と盛り上がる男子に、「もうね、そういうの逆にもっとちょうだい!せっかくだから楽しもうね!」と応じ、戦い終えてヘロヘロになっている私に、支部長先生は手を叩いていらっしゃるし、ムズムズ隊の先生たちがペットボトルを走って持って来てくださる。
子どもたちは先生には勝てない。でもせんせーには勝てるかもしれない。そして、せんせーに勝てた子どもたちは、せんせーを守るようになる。私が副将で出場する団体戦のお相手は大概に30代のバリバリ若手剣士なので、自分たちで試合を決めてくるから、副将のせんせーも出来れば引き分けにしてみて、と先鋒、次鋒、中堅の子どもたちが支えてくれる。

私の剣道には迷いがあって勢いがない、冴えがない、攻めがない、誘いがない、ないないだらけで、いたらない。
新型ウィルス感染防止対策で稽古が出来ない今、私はほぼ毎日、自宅で素振りをしている。濃炭せんせーが成長していると、誰かに言わせたい。稽古が再開して、整列して並ぶ皆の顔を見たい。事態の終息を願うばかりだ。