おいしいねから始めよう
ウィルスの感染拡大の業績悪化により、長男は志半ばで一人暮らしをしていた大阪から実家に戻ってきた。
このまま大阪に残って仕事を探すと言う息子の電話の声は、明るさを装っていたことがすぐにわかった。「1日も早く荷物を片付けて帰って来ちゃいなさいよ」と私が言うと、その言葉を待っていたかのように「帰ってもいいかな?」「申し訳ない」と少しだけ、声の中に元気が見えた。
1週間後に息子は帰宅した。大事に育てて社会に出荷したが、返品されてきてしまった。不甲斐ないのは本人だけでなく生産者の私も同じだと頭を下げると、息子は黙って下を向いて鼻を啜った。荷物の中にはくっしゃっとした診療内科の処方箋が入っていた。
「帰りの長距離バスの車内で母さんのTwitterやnoteを読んで、色んなことを思い出して、有り難さと申し訳なさでいっぱいになった」と息子。あらら、Twitterで息子と繋がりたくはないのだけれど、まあ今回は致し方ないかしら、ねえ。
荷物の整理と職探しをするだけではなく、時間のあるときは夕食の支度の手伝いをお願いしたいことを息子に提案した。私が仕事から帰る連絡を入れると、息子と私はキッチンで待ち合わせをする。夫と私と次男の3人の暮らしが、再び4人家族に戻るので、食事の分量が変わる。お米がたっぷり入った炊飯器にスイッチを入れ、炊き上がるまでの30分で料理を仕上げること、帰宅時間がそれぞれ異なるので家族は揃って食卓に並ばないこと、料理を並べたら私は先に入浴したいことがうちのルーティーンであることを、久しぶりの息子に説明をする。
豚ロースは筋を切り、塩、コショウ、ローズマリーで下味をつけておく。それから、ジャガイモは皮を剥いて一口大に切り、シリコンの容器に入れてレンジで加熱しておく。コンロではくし切りの玉ねぎと冷凍常備しているキノコを炒めてトマト缶、赤ワインで味付けをしておく。豚ロースはポリ袋に入れて小麦粉をまぶし、フライパンで焼く。焼き上がったらトマトソースをたっぷりとかける。柔らかくなったジャガイモはマッシャーで潰して塩、ブラックペッパー、バターを加えて、ポークソテーに添える。豚ロースを焼いている間に、みじん切りした白菜、ニンジン、玉ねぎ、しいたけ、ブイヨンキューブを小鍋に投げ入れてスープを作る。ここまでで、ちょうど30分。お肉だけでは君たちはお腹いっぱいにならないから、ソースでボリュームを足すし、ソースの赤とジャガイモの白で、色合いもおめでたいね、って寿な感じは別にいらないか。ジャガイモは茹でてから皮を剥く時間がないから、先に皮を剥いて小さく切ったのだよ。あとね、冷凍庫にブロッコリーあるから、ほぐれて袋の底に溜まったブロッコリーの粒々をジャガイモにパラリとかけて色合い良くしておこう。
料理が出来上がると「母さん、すごいよね、全部がすごい、自炊してたからわかる!」と息子が誉めてくれる。ありがとう、熱しやすく冷めやすい私だが、おかげさまで主婦業は30年続いている。私は調味料の分量を「赤ワインはナーってかけるくらい」「黒胡椒はゴリゴリゴーリゴリくらい」「油はナーナーくらい」と人に伝えるには適当すぎるが、長く親子をやっているので、そのあたりもちゃんと伝わったらしく、息子の味付けは私が求めた通りのものになった。「自分のどの作業がどれくらいの時間を要するかを、常に知っておくと楽だよね」「うん、それ母さんには昔から言われてて、職場ではいつも意識してたよ」「よしよし、いいじゃん」
「ねえ、暇ならさ、『求職中の息子とキレのいい母さんの勢い任せのクッキング!』ってYouTubeやらない?顔は出さないで、チャッチャとした母さんとドギマギした息子の手元と食材をアップにしてさ、親子の雑な会話で料理をするの」とわりと本気な私に息子は「うん、悪くはないけどね」と笑う。
私の休日は、焼売を作ることにした。実は焼売は、子どもたちが幼いときに作ったことがあるが、失敗をして以来、封印していたのだ。小さな蒸し器で1度にたくさん作ったので、焼売は餡が崩れてくっついてしまい、とても大きな中身が露呈した肉まんみたいになってしまったのだ。「リベンジするなら今しかない!」と、なぜ今なのかは私にもよくわからないが、息子と私は焼売の皮のパッケージのレシピ通りに材料を用意した。のだが、冷蔵庫を開けて、しいたけも入れちゃお、とか鶏ガラだしも入れちゃおと、リベンジなのに調子に乗って冒険もする。出来上がる前から、次は筍も入れたいねえなどと、上から語る。材料を混ぜて味付けをして、こんな感じだね、とひとつだけ皮に包んでグリンピースを飾った見本を置いて、後を息子に任せて入浴することにした。
カモミールの入浴剤でご機嫌になった私がキッチンに出てくると、息子は焼売を包み終えていた。「焼売は底が大事だね」と蒸し器の代用にした大きなフライパンに網を乗せて焼売を並べ、蓋の代わりにホイルを被せて、私たちは蒸し上がりを待つ。
「母さんの短大の調理実習テストはね、3人のチームで今期に実習した料理のどれを作るのか指示されず、自分のレシピノートも見ないで、とにかく記憶に頼って作るってのがあってね。各々のキッチンに材料が並んでて、それを全て使わないといけないの。でね、ひとつだけ足りないものがあって、それはセンターキッチンに取りに行くの。私たち3人は、料理の最後の方で気づいたんだけど、フランベするの忘れて、ブランデーが残っちゃてさ。で、証拠隠滅でお酒飲んでも顔色変わらない私がグイって、飲んだのよ、結局バレて減点だけどね」とものすごく古い話をしていると、焼売がちゃんと焼売として蒸し上がった。
「今日の焼売は兄ちゃんが作ったよ」と食卓に並べると、夫が「お、旨そうだね」と息子を隣の席に招き、「おお、焼売、美味しいね」と、珍しくビールのおかわりをした。おいしいね、たのしいねから、仕切り直していきましょう。