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自分のなかの自然さを取り戻す場所-be-北軽井沢キャンプフィールドのお話

北軽井沢に新しくキャンプ場ができる。

「-be-北軽井沢キャンプフィールド」

10月8日からプレオープンするこのフィールドは、実は3年ほど前までは別の名前で運営されていたキャンプ場だ。

2年ほど手付かずだった場所に新たに命をふきかけたのは、
ハイパーキャンプクリエイターの佐久間亮介氏と山口健壱氏。
一見ふざけた名前のユニット名だけども、
彼らのキャンプに対する想いは、紳士的で真面目で、その真剣さは正直誰にも劣らないとわたしは思っている。

プレオープン前に、許可をいただいて
完ソロ(キャンプ場全体でたった一人でキャンプをすること)をしてきたので、キャンプ場について思った率直な意見を書き留めておこうと思う。

ぜひ、今後彼らのキャンプ場に足を踏み入れようかなと思っている人は参考にしてほしい。


北欧のような森を体感できる北軽井沢

北軽井沢の自然は、関東地方のなかでもちょっと飛び抜けた場所だと思う。ふとした瞬間に、北欧の森を思わせる。標高が1000mと高い位置にあるため、気温は北海道に近いとも言われている。

どこよりも早く秋が来て、どこよりも早く冬になる。厳しい冬を抜けるからこその春の木々の色合いはどこよりもきれいに見えるし、夏はカラッと涼しく気持ちがいい。

別荘地として有名だが、定住するにはちょっと厳しい面もある。人を寄せ付けないような静けさや畏怖がそのまま残っているような、そんな自然と対峙していく冬を越す必要があるからだ。

キャンプ場の再生

設備は少し古さも感じるものの、正直この上ない充実した設備だ。


トイレやシャワーはしっかり清掃されていて、清潔。
(シャワーはまだ使用ができないが)

水場も十分にあり、お湯も出る(かなりありがたい)。

そして立派すぎる管理棟には、24時間管理人が滞在できるよう住居ともなっている。これが、いい。
管理人が夜に不在になるキャンプ場が数多くあるが、ここには山口健壱氏(ヤマケン)が常にいるので、もしものことがあったらすぐに頼れるという安心感がある。ほんの些細なことのようで大きい。

人がそこに住むキャンプ場は、その人となりがキャンプ場に映る。
彼らの広すぎるお庭にお邪魔するような、そんな感覚も、またキャンプだ。

自らに問い続ける生き方

8年前に脱サラをして、少ないお金と勢いで買ったキャンプ道具を小さな車に乗せて、二人でキャンプで全国を一周してきた二人。
自分たちの成長とともにリアルなキャンプの情報をブログや動画にして、必死に旅を続けていた。その頃は「住所不定キャンパー」と名乗っていたこともある。

8年も前には、まだ今のようにキャンプを発信する個人や会社もほとんどなく(趣味程度にブログに書き残している人はいたけれども、しっかりとキャンプ情報ブログという発信をしている人は少なかった。特に20代では皆無だったように思える)

その日本一周は、二年もかかった。日本なんてそんなに広くない。例えば自転車で日本一周をする旅でさえ、1年もかけずに帰ってくることもできるはずだ。

しかし彼らは車で、47都道府県のキャンプ場を丁寧に周るだけでなく、お金がないのに観光地にも足を向けたりもした。その土地それぞれの魅力を自分たちの言葉でキャンプと繋げて伝えるためだ。

時には地方で働いてお金を稼いだりもしたが、一周を周り切る前におおよそ体力も資金も尽きかけ、東京に戻って悔しい思いをしながらまた必死にバイトをしつつお金を稼いだそうだ。

貯めたお金を握りしめ、一歩一歩確実に最終地点の沖縄に立ったのは二年後だった。
別に誰に課されたわけではない。ただ自分でひたすら歯を食いしばって条件を課してやり遂げた。

なぜ、そこまでするのか。

正直、ストイックに何かと戦うようにキャンプを伝え、必死に向き合い続ける彼のことを当初は理解できなかった。
ただぼんやりと「なんだかいつも悔しそうな人だな」と思っていた。

それぞれの道

日本を一周し終えた彼らは、別々の道を歩きだした。

佐久間氏は、ニュージーランドに留学後、ライターで活躍をしながら、テントのプロデュース、大手メーカーのウェブの監修、書籍を執筆、なぜかモデルにまでなり、とんでもない実力を発揮している。


山口氏は、芸人のようにおしゃべりが達者すぎる才能を生かして(?)キャンプ番組youtubeのMCをしたり、イラストレーターとしてWILD-1のグッズのイラストや、キャンプ場のロゴデザインなどを手掛けている。
そして彼も自分の著書を出版した。

なんか、こうやって書くとこの二人すごいな?(ヤマケン風に言ってみた)

わたしと彼らは7年ほどの仲になる。
いつまでも進化していく彼らの行動や考えがとても面白くて、いつのまにかわたしはただのファンになってしまった。
実際に彼らに会い、例えば焚き火を囲んで彼らの話を聞いてしまったら、ファンになる人は正直少なくないと思う。

何年も力強く何よりも真摯に向き合う姿は、見ていて眩しすぎるものだけど、そこから目を背けずにまっすぐ応援できるようになると、なぜか彼らの行動が自分にとっても励まされるものになるから不思議だ。

自分と向き合い続けることを
繰り返してきたからこその結果が、今になってるのだと思う。

そう思うと、すごいわけじゃない。
至極当然なことなのだ。


キャンプ場の名前に込められた想いとキャンプの真髄

キャンプ場の名前は「-be-北軽井沢キャンプフィールド」です。be動詞のbeです。社会人として生きている自分や都会の中で過ごす”なにかをまとっている”自分から離れて、素の自分になってほしいという願いを込めて。beというのがシンプルな原形だなってことで名付けました。

佐久間氏のフェイスブックから引用

キャンプ場の名前は佐久間氏が決めたそうだ。be動詞のbeだけを取ってくるなんて、こっちが照れちゃうくらいシンプルでまっすぐだ。
彼らしいネーミングだと思う。

beという意味を想いながら、そのキャンプ場で一人でキャンプをした。

焚き火をしながらぼんやり過ごす時間は気持ちがいいし、その日の天気予報をいい意味で裏切って見えた星空と月と、グラデーションのような雲がとても幻想的で、まるで絵本のなかの世界のようだった。

焚き火を終えて、テントに入る。
誰もいないキャンプ場は不気味なほど静かで、風に乗って落ちる葉がテントに重なるだけで少しソワソワした。
わたしと自然との対峙の時間でもある。

たった一人で、暗闇に溶けていくようなとき、ふと自分の感情のそのままを知ることができる。

「違ったかもしれない」

そんなふうに急に思う。

わたしは自分の書籍にもあるように「キャンプを通して変わったこと」について考えてきた。キャンプに出会い、それに夢中になったことで、山登りをはじめ、あらゆる自然遊びをするようになり、視点も世界もぐっと広がった。もちろん変わったこともたくさんある。

しかし、それが本来のキャンプの魅力と言い切るのはちょっと違う気もしていた。

「変わったんじゃなく、そのまんまになったんだ」

年齢も、立場も、人種も、肩書きも、何もない。
何もない自分を手に入れることができたんだ。

何もないまっさらな自分が、「焚き火がきれいだな、星がきれいだな、ごはんがおいしいな、地球って本当にすごいんだな」
って思う。
何もかも取り外して、そんな風に思える自分がいることに、わたしが気づいてあげれた瞬間が、わたしにとってのキャンプだったんだ。

beはそんな意味なのかもしれない。

いや、わたしにとってのbeがそういう場所だった。

最後に

キャンプで日本一周を丁寧に成し遂げた彼ら二人にはかなわないけれども、わたしも仕事柄や自分の好きもあって、全国いろんなキャンプ場に足を運んだ。
これでもかと隅々まで手が入ったキャンプ場もあれば、ほっとかれてかわいそうな場所もある。


「いい、キャンプ場ってなんだろう?」
時々そう思うことがある。

高規格で温泉があって清潔なキャンプ場、
景色が唯一でとんでもない絶景を目の前にできるキャンプ場、
家から近くほどよく立地がいいキャンプ場

いろんなキャンプ場がある。求めることは人それぞれだから「いいキャンプ場」の定義なんて本当はないのかもしれない。

でも1つ確かにあるのは、「想いがあるキャンプ場」だ。
例えば、ファミリーのためを想って考え抜いたサービスを提供したり、この絶景を楽しんで欲しくて木々をうまく伐採したりなど、
想いが行動となって、その場所を作っていく。

結局はわたしたちが利用させてもらっているほぼ全てのキャンプ場は人の手によって作られた自然なのだ。
そしてその差は「人の想い」でしかない。

キャンプというものを通して生き方を問い続けた彼らが、最終的に行き着いた北軽井沢の土地での挑戦。

彼らの想いをぜひ、感じとってもらいたいと思う。

https://reserva.be/becampfield/about



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