「ピンクの中身」(クロコライダーズ！⑤)

ポップス大作戦#5

　　　　　　　　　　　　　こい瀬　伊音

　べらっ。
　右胸からすごい勢いで剥がれたヌーブラをかばって、腕を交差させた。自然に腰がくねって、しなを作った姿になる。
「カットーーー！こらピンク！おまえなめてんのか、気合いいれて動けよ！」
「まあまあ、佐々さん。ああいう動きもセクシーでいいんじゃないですか」
「いや、ライダーピンクは現代の女子なんで。仕事するとき女出してるようじゃ時代に受け入れられませんよ。強くて美しくないと、女子ウケするコンテンツにはなり得ないんです！」
　佐々さん、暑苦しいわ。
　おれはライダーピンクのマスクをとって、そろそろと呼吸した。カメラはまだ止まってなくて、おれの顔を撮ってる。好ましくは、ない。スタジオのライトがまっすぐにのびて、その軌道に埃が舞う。きらきらとグリーンバックまで、演者の不在が際立っている。
「すいません、ムネの肉はがれたんで、直してきます」
　変な空気が流れんちゃうかと焦ったけど、一旦休憩！という声に救われた。
　早足で歩くおれのあとを小道具兼雑用兼スタイリストの桜井さんがついてきて、ライダースーツの背中のファスナーを下ろした。かわいい顔して、ためらいもなく腰まで。
　じーーっ。
　身体の前に空間が生まれ、ベージュのシリコンが左ムネもろとも腹まで直滑降した。桜井さんの背中のファスナー、おれの方こそ下ろしたいってのに。
「なんだ、ハルくん、ガムテでヌーブラとめてたの？そりゃ汗でずれるわ。一緒にブラトップのキャミソールも置いてたでしょ？」
「すんません」
　つい、ふてくされた態度をとってしまう。身体の線があまりに細くて恥ずかしい。いや、細身だから、どんくさいアイドルの代わりになれたんだけど。
　薄っぺらな胸が、こころもとない。レッドなら筋肉だってしっかりついてんだろうとか、ブルーの身体なら無条件に抱かれたいとか思うんだろうか、とか。桜井さんとは目線の高さが同じだから、身体も感情も逃げ場がなくなってしまう。
「下からはいて、胸の下のところ、一周ゴムになってるから。カップがかぱかぱしないように、間にヌーブラ挟んでくれたらそれだけでずれないからね」
　あーなんでおれこの人のまえでムネ偽装なんかしてるんやろ。
　最初に佐々さんが言ったとおり、おれらの曲ちゃんと使われるんやろか。いいねいいねーと誉められるまま、おれの思う一番かっこいい音をレコーディングしたけど。
「クレジットにバンド名がばーんとのれば、東京での起爆剤になるよ」
　SNSの時代とはいえ、やっぱり音楽はライブだ。東京に出て来たとたんにライブができなくなって、新しいファン獲得ができずくすぶっていた。そのうえ、ホームなはずの地元すら遠く感じてしまう。
　あーあ。どさっと椅子に腰を下ろしてみても、ピンクのスカートのしたからぴかぴかした白いタイツの足が生えててまじ萎える。できるだけ遠くに、この身体をほうりだしたかった。
　おれのなかのワニがぐわっと口を開ける。ごつごつしたグレーの身体とは対照的な、口のなかのピンクがあわい。獲物にかじりつき、咬み取り、噛み砕くときの顎の力はむちゃくちゃやぞ。本物のクロコダイルに、いま、変身したってええねんぞ。わかってんのかサクラさん。
　桜井さんの手がおれの左右の膝をくっつけた。
「はいはい。スカートのときは、ひざをくっつけて座ってね。クネクネした演技はいらないけど、所作が凛としてなくちゃ。百田ちゃんのイメージも壊しちゃうでしょ」
　魔法にかかったみたいにもう膝が開かない。軽く、手を添えられてるだけなのに。
「ワニの口ってね、噛む力はすごいんだけど、開ける力は弱いのよ。輪ゴムくらいで押さえられちゃうんだって。おもしろいよね」
　は？何が言いたいわけ？おれのこと、吠えてるだけのやつに見えるんやろ。
「脚の開きがクロコダイルの口みたいだって思ったから。スカートのなかのピンクが丸見えー」
「うわ、えっろ」
「ちゃんと座れないなら、レースのショーツ用意するわよ。大変なのはわかるけど、ピンクの間はちゃんと閉じてて」
　なんだこの感じ。
　ライダースーツを脱いでも。脱いでも一人前の男として見てもらえへんのかも。ここはステージじゃない。ギターも歓声もない。
　はぁ。ほんまむかつく。
　おれは無言で立ち上がり、足からブラトップをはいて引き上げた。桜井さんは細いかたひものアジャスターを無言で調節する。かぱかぱの胸元からヌーブラを押し込むと、きれいな丸みができた。背中にまわった桜井さんの手が、左右のシリコンとブラトップのあいだにはいる。やめろよ。うしろから、胸鷲掴みにするなんて。
「だいじょうぶ。寄せて、上げて、胸張って！」
　変身、クロコライダーピンク！！
　ドクン、ドクン。
　心臓がうなりをあげる。この痛み、エフェクトなしのギターソロにして、次のライブでぶちかます。
　変身。これが、終わったら。
　目的いち。かっこつけて、桜井さんにチケット渡す。に。おれの音楽を、その胸に深くぶっ刺す。