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「ひかりのトンネル」

果樹園SF
「ひかりのトンネル」

 みーんみんみんみんみんみん。
 あっちいな。
 ぼくはサマースキルを一ページめくってみただけで飽きてねころんだ。なんだかいいにおいでつい鼻をすんすんしながら横向きになる。目の前には黄色の、畳の目が並んでいる。横になでるとすべっとして、縦になでるとざりっとする。ほっぺにはたぶんくっきり横の線がついてるはず。スタンプみたいに。
 扇風機はぶーんとやる気のない音をたてて首をふっていた。青い羽は境目が見えない。我々は宇宙人だっていわれるのにはもう飽きていて驚きもしないし、なんならワレワレのとこだけ宇宙人的でウチュウジンダのところはそっぽをむいて帰ってこない。ぬるまあったかい空気をずうっとかきまぜているだけで、ぼくが宇宙人になることはない。
 タブレットないスマホないムスカのまねもどんどん下手になってく気がする。昼ごはんをたべたあと夜ごはんまでの間、ながくてながくて死ぬほどながくてこういうのが夏休みならもういらないと思う。
「どうした、お母さんに会えなくてさみしいのか」
 叔父さんはいつも見当外れなことばっかり言う。会いたい? まさか。キイキイ声が飛んでこなくてせいせいしてるってのに。
「スマホがなくてつまんないだけだよ」
「へーえ。おれが小学生のときにはこんなもんなかったけどなあ」
 叔父さんは手首をふりながらガラケーをぱかぱか開け閉めして(そのすがたはすげえだせえ)よかったら使いなよ、ゲームもあるからって言う。テトリス的なやつとソリティア的なやつは使い込んであるのか相当マークしてる点数の桁が大きかった。
「すっげ」
 思わず声を漏らすとだろう、と胸をそらせる。
 人はいいかもしれないけど彼女がいなそう、とママが父さんに言ってたけど、それはあながち外れじゃないだろうと思う。でも、さも悪いことみたいに鼻の横にしわをつくって言うようなことなのかな。父さんみたいに彼女ができてもしょせん相手はママで、こどもだってぼくで、父さんがしあわせそうだとか別に思えない。いつも疲れた顔で帰ってくるとビールを二缶冷蔵庫からとって、座ったらそれきり動かない。発泡酒じゃない日だけ「おっ」と言ってだけど緩んだ口許を隠すんだ。

 叔父さん個人に属するものでするゲームって、ぼくには居心地悪いんだけど?

 叔父さんはいつも宙をにらんだあと、にらんだ顔を保つのが大変みたいにふにゃほにゃ頬が崩れてくる。あ、目が寄っていく。あのさ、変顔ならもっと笑うスイッチ分かりやすくしてくんない? 知らないうちに繰り広げられてて、地味このうえない。そんでこっちをちょっとも見てなくて、叔父さんの中の世界ですべてが完結してるかんじ。
 いやまって、その叔父さんをじーっとみつめてるぼくも、相当きもいから。
 あの顔を真似してみようと思いたって、目を寄せてみる。叔父さんみたいに少しあごをあげてみると、うっすら自分の鼻の頭の丸いのが見える気がした。地球とか、遠くの水平線が丸いとか、そんなことが思い浮かぶ。鼻の頭を見よう見ようとしてるだけなのに、海が広がって船が通っていく。見覚えがあるあの船は……あっなんだ。サマースキルの表紙の絵。
 そう思ったとたん急にみーんみんみんみんと音がし始めて、今、音のない世界にいたことに気づく。なんなんだこれ。
 叔父さんはまだ、あの溶けたバターみたいな顔のままじっとしてる。音、聞こえてんのかな。確かめてみたくて、ぼくはリコーダーを持ってきた。これも宿題なんだけどだるくて、まあやってない。運動会のマーチングまでに校歌とパプリカを吹けるようにならなきゃだけどほんとはたいこをやりたかったから、どんどん、どんどん、どどどどどどどどどんどん、どんどん、どんどん、どどどどどどどどどんどん、をドの指使いでスタッキングしてみる。
 ドドドドはスピードが早くて口がとぅとぅとぅとぅするのにおいつかないし、途中へんに高いきいっていう音も鳴った。だけど叔父さんはここにいないみたい。高いドにしてトゥトゥトゥトゥしてみたけど、溶けっぱなしの顔がもっと崩れてさらにぶさいくになってる。
 いや、これを不細工って簡単には笑えない。
 ぼくは子どもの頃の叔父さんに似てるらしいから。三十年後のぼくかと思うとぞっとする。いやいやまさかね。まさか。
 溶けた真ん中で、鼻がひくひく動いてる。やめてよ叔父さん、これ以上ぶさいくにならないで。ぼくの未来がなんだか少しずつ閉ざされる気がするんだよ。振り払うようにぼくはリコーダーを吹いた。とりあえず「おーお、われら、ああの、ゆめのおさとしょうがっこおお」のところだけ繰り返す。夢の里。夢の里。
 おじさんの小鼻は「ゆめのお」と音が高くなるところでひっく、ひっくと右も左もよく動く。動かすたびに毛穴がひろがって、水玉もようになっていく。ぼくもいつかあんな顔になるのかな。おもしろかなしくおもしろい。うん。かなしくおもしろい。暗がなしくばかおもしろい。
 ぽっかりと穴が開いた。
 え、穴? 
 驚いてリコーダーをやめるとぶどうが消えた。
 なんだこれ。
 ぼくはもういっかいリコーダーを吹いた。とぅとぅとぅとぅ刻むと鼻はぴくぴく。ゆめのおさと、のところで毛穴がへこんでぶどうが一粒。ぼくはそれを横目に見ながら、しょおがっこおおをおおげさにゆったりたっぷり吹いた。ここでやめてしまうのが惜しくて、でも頭には戻れなくて、おーお、われら、ああの、ゆめのーさとしょうがっこおお。へこんでぽん、へこんでぽん。へこんでるのにぶどうみたい。ぽっかりと穴にぶどう。おじさんの鼻がぶどうに変わっていく。なんだ、なんなんだ。へこんでぽん、へこんでぽん。
 ぼくはもういっかい両目を寄せて、叔父さんによくにてる自分の鼻先を力を込めてみた。
 丸い地球、地平線、夢の里小学校。まるい地球、地平線、夢の里、のーさとしょうがっこおお。とぅとぅとぅーとぅとぅ。
 ぼくの鼻腔にぶどうの香りがひろがる。くっそジューシー。もっともっと嗅ぎたくて鼻先に力を込める。巨峰のひとつぶが噛みつぶされたみたいにぴしゃーっと、ぼくの鼻は果汁で覆われる。待って待って苦しい。苦しい。
 
 ふりかえってみると、トンネルの出口にいた。ふたつの黒くて丸い出口。なんで出口かっていうと、行きたい方向の逆がトンネルだから。もういちど潜りたいだなんて誰が思うんだろう、いやこれは思わないよ。

 目の前には白い袋を何個もつけたさかさまの木がずらりと並んでる。空から蔓がのびていて少し暗い。急にあまい雨粒が落ちてきて、髪の毛がべとべとになる。なんだこれ桃ジュース?
 ぼくは空に向けて口を開ける。あーん。あまい。目はつぶる。口はもっとおおきく。
 あまいあまい。にやにやしてしまう。
 果肉もほしい。しっかりと噛んで楽しみたい。
 めのまえの木には桃がなっていて、道の反対側にはぶどうがすずなりだ。手を伸ばせば全部食べ放題。
 ぼくは探検することにした。自転車もないから歩いて、喉が乾くと空に口を開けた。ぶどうジュース。りんごジュース。歩いてる場所によって、おんなじりんごでも少しずつ味が違っていた。
 どこまで歩いても、だれにも会わなかった。
 木にはたくさんのくだもの。
 自分の口の中でかみしめたらどんなにおいしいだろう。ぼくの手はくだものをもぐ形をして房にちかづいていく。
 だれもいないからだ。
 食べていいですか、も、おいくらですか、も、聞けない環境が悪いんだ。
 目の前の桃は産毛をひからせて、ぼくに食べてほしいといっている。
 どうぞ食べて、とすすめてくれるひとはいない。
 こっちがおいしいよ、と教えてくれる人も。
 こうしたら簡単にもげるよ、も。
 こんなに目の前に、たくさん溢れているのだから。
 ぼくにどうしても食べてほしそうだから。
 桃がぼくを手招きしていて、触れるとほんのすこし表面がへこんだ。
 そのとき、とぅとぅとぅとぅの校歌が止んだ。
 今までなにも聞こえてなかったのに、止まったとたんそれがわかるなんて。
 音がなくなってしまうと、とたんに心もとなくなった。ぼくはとぅとぅとぅとぅで校歌を頭から歌いながら、なんとなくトンネルに戻らなくちゃと来た道を引き返し始めた。
 とぅとぅとぅとぅとぅ、とぅとぅとぅとぅとぅ、おーおーーーわれら、ああの、ゆめのおさとしょうがっこおお。
 空から伸びてくる蔓が、歩くぼくの腕や足をなでる。心地よくて、このまま座り込んでもいいかな、と思う。そうすると、蔓が少し強く、ぼくの手足に絡まる。
 おーおーーーわれ、ら、ああの。
 歌い出すとまた、しゅるるっと蔓が引っ込む。トンネルの入り口はまだみえてこない。入り口っていうのは、進行方向に向かった先にあるからだ。あの黒くて丸いふたつの穴へ、ぼくはいかなくちゃと思う。
 校歌のあたまを何度もとぅとぅとぅとぅ歌い、大きな声でゆめのおさとしょうがっこおお、と歌い上げる。ぼくは頭を思い出さなきゃいけない気がしてくる。
 蔓につかまらないように膝を高くあげながら歩き、ずうっとずうっとなんども繰り返して歌う。とぅとぅとぅとぅ。
 木のねっこが地面にうねってめのまえを黒々とした巨峰で通せんぼするから、ぼくは走り出す。空をみてももうジュースは降ってこない。
 喉が乾いたら、食べればいいんだよ。
 ほら、目の前だよ。
 何回くぐっても立ちふさがる果樹。
 ぼくは走りながら、叔父さんの顔を思い出す。甘い匂いのむこうの、畳の匂いを。それから蝉時雨。サマースキルの表紙。
 とぅとぅとぅとぅ、とぅとぅとぅとぅ、ひかりと。
 そうだ! ひかりとかぜのー。
 校歌の冒頭を思い出すと、そこにトンネルの入り口があった。
 迷わず飛び込む。暗いけど、こわいけど、出口の向こうは明るいから。

「なんだ、行ってきたのか。ジュースがうまかっただろ」
 なんだよ、叔父さん行ったことあるの? ぼくはことばがうまくでてこない。だって、帰ってこれないんじゃないかとこわくて、おしっこちびりかけたんだ。
「ちょっと行ってジュース飲んで帰ってくるには、修行が必要なんだよ」
 叔父さんは、なんの歌を歌うの?
 ぼくはなにか、希望とか光とかそんな答えを期待してたけど、叔父さんはテトリスのテーマって答えただけだった。
(おしまい)

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