愛の物語について

ぼくの通っていた町田の予備校。自習室から小田急線が、みえた。

一度だけ、授業をさぼって小田急線に乗り、海をみにいったことがある。


海をみたい、とか、そういう、センチメンタルなことを思う回数は、ほとんどなくなってしまった。

最近はというと、どうやったら異動できるのかと、そういうことしか考えていない。

有名な詩人は「自分の感性は自分で守れ」と言ったらしいけれど、ぼくはそう思わない。

ひとの感性というのはお互いに影響を与え、受け、すこしずつ変化していくものだと思う。

ぼくは就職してから、「影響」にかんしてまったく満足ができていない。

「影響」をもとめて、どうにかいまいる場所から、異動をしたいと考えている。


あこがれのひとがいる部署に異動したい。あこがれのひとの側で影響を受けたい。

ほとんどそれだけが、いま仕事を辞められずにいる理由なんだよ。


きょうは、愛の物語について、書きたい。


ぼくは、いま町田のカレー屋さんの行列に並びながら、この後に会うひとと、どういう話をするのか考えている。できれば愛の物語について話せればいいなと思った。そんな話は、親友や、ジョンレノンや、この後に会うひととしか、できないから。


2021年12月、忘れられない日があって、いまでも思い出してニコニコしてしまうよ。

いろいろな物語がつながり、あこがれのひとにめぐり逢えた。フリッパーズギターが好きだとぼくが言うと、そんな顔をしている、とあこがれのひとは言った。それから渋谷の話をした。

ぼくのことを芸術家だとも言ってくれた。帰ってから泣いた。

そのひととめぐり逢えたことと同じかそれ以上に、約束を果たしてくれた友人、いまよりも誰にも見つけられなかったときから親切にしてくれた先輩、ぼくの話をしてくれた後輩、社内報に書いたこと、まわり道に思えたすべてのことが、ぼくのいちばん好きな道につながったことがうれしかった。みんながつなげてくれたことがうれしかったんだよ。


フリッパーズギターを聴きながら思い出して、また少し泣いた。


よく思い返せば、フリッパーズギターを知らなければ、ぼくはどうなっていたんだろう。

これが、ほかのなんでもなく、「フリッパーズギター」なのが、すごい。

松尾さんが教えてくれたフリッパーズギター。運命だとしか思えないんだ。ちょろくてもいい、こじつけでもいい、ぼくは、こういう偶然が大好きだ。


出会ってからもう8年もすぎた。それでもぼくはずっと尊敬している。ひとりで尊敬している。すげーってずっと思うよ。

松尾さんほど、心に響くことを言うひとをぼくは知らない。ヘタレのぼくを焚きつけてくれる、魔法を使えるひと。


ぼくは、いま、遠くを見られているんじゃないかな。


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