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ブログ企画【繋】第70回「雨」

毎月1日に全国各地のメンバーがひとつのテーマで文章を書くブログ企画【繋】。
今回は、takeさんからこちらのテーマをいただきました。

『なんだか 早めの梅雨との。。。
ですので 6月のお題は「雨」……そんな 6月のあめ いつもと違う あめ がテーマでおなしゃす!』
テーマ発案者:takeさんより


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深い緑の中に紫陽花の花がぽつりぽつりと開き始める5月の終わり。沖縄の梅雨入りが発表されるくらいのこの時期になると思い出す、雨の日の記憶がある。

Photo by おおたゆき

運動会シーズンでもあるこの時期、当時たしか小学2年生だったわたしがいた小学校でも、目前に迫った運動会当日に向けて日々練習に熱が入っていた。
しかし、そんな矢先の本番前日。最高潮にまで達していた学校全体の士気に水を差すかのように、雨が降りだしてしまう。校庭での練習はすべて中止になり、雨の場合に予定されていた通常の時間割での授業が行われた。教室には、湿気た空気と行き場をなくしたエネルギーが充満していた。

その放課後、仲のいいクラスメイトたちとの間で、明日の晴天を願って「てるてる坊主」を作ってから帰らないかという話になった。この頃のわたしたちは、サンタクロースの存在と同じくらい、てるてる坊主の日乞い効果を信じていたのだろう。
さっそくわたしたちはランドセルを置き、ポケットからちり紙をとりだして丸め始める。
窓の外に目をやると、校門へ向かう校庭には色とりどりの傘が咲いていた。部活動の経験もまだない小学校低学年にとって、他の子たちが帰って行く中自分たちだけがまだ教室に残って何かをしているというこの状況に、わたしも含めてそこにいた子たちは少しばかり優越感に浸っていたと思う。

各々がひとつずつてるてる坊主を作り終えた頃になって、リーダー格の女の子が「もっといっぱい作った方が絶対晴れるよ」と言い出した。一向に降り止まない雨に不安を募らせていたわたしたちは、明日の晴れを約束してくれる安心材料を求めていたのだろう。
その言葉によって何か踏ん切りがついたわたしたちは、そこから取り憑かれたかのようにてるてる坊主を量産していく。

より多くのてるてる坊主をより効率よく生みだすため、制作工程ごとに担当が割り振られ、先ほどのリーダー格の彼女の指示のもとしっかりとした制作ラインが敷かれた。
ティッシュペーパーを丸めててるてる坊主の頭部を作る子、その上からティッシュペーパーを被せて首の部分を捻る子、そしてわたしは形になったてるてる坊主に目と口を描き入れるという仕上げ作業を任された。一連を経て完成したてるてる坊主は、グループの中で一番背の高い子が椅子や机に上り、セロハンテープで教室の窓ガラスに貼りつけられていく。
薄暗い教室での秘密の放課後活動に、わたしたちはのめり込んでいった。


一体どれだけのてるてる坊主を作っただろうか。
黙々とティッシュペーパーに顔を描き続けたわたしの油性マッキーは先がかすれ、インク部分の繊維が毛羽立っていた。自分たちが持っていたポケットティッシュはとうに使い切ってしまったため、女子トイレからトイレットペーパーを持ってきたり、果てには自由帳や漢字練習帳までもがてるてる坊主へと姿を変えた。窓に貼りつけられたてるてる坊主たちは、結露した窓ガラスの水分を吸ってぐったりしていたが、それでもおびただしい数のてるてる坊主が窓一面を覆い尽くす光景は圧巻だった。
教室の窓を打ちつける雨の強さは何ら変わっていないのに、わたしたちの間には「これだけ作ったんだから絶対に晴れるだろう」という確信が生まれていた。大きな達成感に浸りながらみんなで窓を眺めていると、突然教室のドアがガラリと開いた。蛍光灯がパッと点く。わたしたちは驚き、一斉に教室の出入り口の方を振り返る。

そこには、ぎょっとした表情で目を見開く担任の先生が立っていた。


そこからのことは、あまりよく覚えていない。おそらく、すぐに窓際へ駆け寄ってきた先生に「晴れてほしいみんなの気持ちはわかるけれど、さすがにこれはやりすぎ」などと叱られ、しょんぼりしながらすべてのてるてる坊主を窓ガラスから剥がし処分したのだろう、たぶん。
それどころか、肝心の翌日の天気はどうなったのかはおろか、赤組が勝ったのか白組が勝ったのかも、そもそも運動会が開催されたのかどうか(写真やビデオにはちゃんと記録として残っているから無事開催されたのだろう)すら何ひとつ覚えていないのだ。
今でもなお鮮明に記憶に焼きついているのは、明日の晴れだけを願っててるてる坊主を作った強い祈りの記憶だけなのだった。

天気という人の力を及ぼすことのできない自然現象に対して、これほどまでに自分の望む空模様を切望して強く抗おうとしたのは、おそらく後にも先にもこの出来事だけのように思う。
それ以降も、いくつもの学校行事やプライベートでのレジャーなど晴れを願うイベントは度々訪れたが、わたしの中にあったはずの天気に逆らう気持ちは、いつのまにかなくなっていた。
その代わりに、あらかじめ雨が降る可能性をスケジュールの中に組み込み、雨の場合の動きを想定しているわたしがいる。
こうやって、気づかぬうちに自分の気持ちに折り合いをつけて、さまざまな出来事をあらかじめ想定して物事を運んでいくのがうまくなる一方で、そこには少しの退屈さも感じる。

そういう対応をうまくできた方が失敗も少なくて、その場の状況状況に適合していけるのだろうとは思うけれど、より要領よく無駄なく生きることばかりが良しとされたら、そこからはみ出たはずの反逆心は、いったいどこへ行ってしまうのだろう。
物事をまるく収めようとするあまり、うまく折り合いをつけるのが常になってしまうと、なんというか、すべてが自分の手の届く想定内の範囲の世界で完結してしまいはしないか。
自分の中に何割かの「予定調和に逆らう聞き分けの悪いクソガキ」要素を残しておかないと、自分がどんどんおとなしく、つまらなくなっていってしまう気がしてくる。

天気はわれわれの力ではどうすることもできないうえ、てるてる坊主に縋ることは決して合理的な行動とはいえないし、大量のティッシュを無駄しにた挙句、先生に怒られてしまったが、それでも「だって晴れてほしかったんだもん」で一点突破しようとしていたあの日の小2マインドを完全に手放したくはないなとも思うのだった。



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