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経験と優しさは紙一重

今日は中国の留学生とお話しする機会があった。その時、異国の地で学び、日本語を一生懸命に話してるのを見て、なんだか1年前の自分を投影してるかのようだった。分かるよ、言葉が通じないもどかしさ。伝えたいこと沢山あるのに伝えらないんだよね。そして、なんて言ってるか分からないからとりあえず苦笑いするしかないんだよね。こん時って自分だけ話についていけないからすごく寂しさを感じる。

今日は雨が激しく降っている日だった。人々の傘が空を埋め尽くしている中、ポカンと空間がある。下を見てみるとそこには、バックパックを背負っている、びしょ濡れの子が2人。異国の地で急に雨に降られて、傘もなくて、お金もなくて、途方に迷うしかない。


今日はね留学生の気持ちも、パックパッカーの気持ちもどっちもわかった。だから、私がその人たちにしてあげられることがわかったんだ。その人たちにとって私の行動がどう映ったかはわからないけれども、私だったらしてほしいって思えることができた。



マレーシアに行って言葉の壁のもどかしさを感じて、パックパッカーをしてひもじい思いをして。けどそんな時に、優しくしてくれた人対してのどんなに嬉しかったか覚えてるんだ。一緒に笑ってくれたこと、私の言葉を嫌な顔せず聞こうとしてくれたこと、ひもじい私に優しくしてくれたこと、全部全部覚えてるんだ。すっごく嬉しかったんだ、この感情は嘘じゃない。辛かった気持ちも、嬉しかった気持ちも私は分かるから、分かるからこそ相手が喜ぶことをしてあげたい。

結局相手の気持ちなんて慮ることしかできなくて、それがあってるかは分かるない。人は自分の経験や目線からしか考えられない。だからもしかしたら間違っているかもしれない。けれどね、相手と同じ経験をしていれば、分かるかもしれない。「私はこの時こう思った、だからこう思っているかも」

私は未熟で、無力で誰かに何もしてあげられないかもしれない。けれども、自分が経験して相手の気持ちをわかっている事によって、優しくできるかもしれない。

だからね、私は色々なこと経験するんだ。色んなことして、色んな人の目線で考えられる人になりたいんだ。そしたらそれがいつか、誰かを思いやれることに繋がると思うから。

私はやっぱり優しい人になりたい

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