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「いつも通り」をつくっていたもの

夫が体調を崩して寝込んだ。

普段、在宅勤務をしているわたしが食べるものに困らないようにと、週末には作り置きをしてくれる夫。

寝込んでいる間は、まともにご飯を食べることもできず、もちろん作り置きをする体力はない。

夫が起き上がってきたタイミングで

「体調どう?」
「なにか食べられそ?」
「欲しいものある?」

と確認する会話のローテーションが4日ほど続いた。

その間、わたしはお腹が空いたら自分の分の食事だけ簡単に調理して食べた。

そのご飯のまあ味気ないこと。

広いテーブルでひとり、テレビをぼーっとながめながら、なんならかたわらでノートPCを開いて調べ物の続きをしながら食べることも。

そりゃ味も曖昧になる。空腹が満たされればいい、という食事の仕方だ。

味付けが薄かったなあと気づいても、席を立って調味料を取りに行くのも面倒。

2人で食べる晩ごはんが恋しい。

夫が出張や飲み会でいない日には、そんなふうに思ったりしない。

「1人だからこそ自分の食べたいもの好きなだけ食べるぞ」という気持ちになる。

でも、今回は状況が違う。

食欲がない夫につられて、食べる回数が減り、食事の量も減り、体重もほんの少し減った。

いつも一緒にいる人が元気でいてくれるって、すごく尊くて素晴らしいことなんだなと気づかされる。

5日目あたりで、夫とローテーション以外の会話がやっとできるようになった。

「あ、久しぶりに声出して笑ったかも」

と夫が言って、2人で喜んだ。

次の日には、後になったら思い出せなくなるようなどうでもいい話をして「調子が戻ってきたね」と言って、またしても2人で喜んだ。

普通に笑うのも、なんでもない会話をするのも、実は"元気である"って土台があってこそだったのた。

体の状態と心の状態に余裕があるからできるんだろうなと。

夫が寝込んだ日からちょうど1週間。やっと2人並んで晩ごはんを食べた。テーブルにはスーパーで買ってきたお惣菜がずらり。

「こっち最後もらっていい?」
「これ美味しかったよね、また買ってこようよ」

きっと時間がたったら忘れてしまう、いつもの食事の時間が戻ってきた。

大切な人には元気でいてほしいし、わたしも元気でいたいなと思った夜だった。

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