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掃除をしたら生を肯定できた

部屋の掃除をした。何ヶ月ぶりか分からない。ゴミは捨てていたが、謎のホコリや髪の毛が散らばっていて酷い有様だった。それをパタッとキレイにしてやった。

気に食わないので何回も日記に書いていることであるが、俺はいま1Kのクソ狭いマンションの一室に住んでいる。睡眠、作業スペースを確保したらそれだけで一杯一杯なのだ。まず部屋を掃除するために物を動かすための余分なスペースが無い。どこかに積み上げて、要らないものはゴミ袋へガンガン詰め込みゴミ捨て場で掃き出して、少しだけ空いたスペースに必要な物を配置していく作業が1Kでの部屋掃除だ。

これがすこぶるダルい。ダルいというか、狭くてやる気になれない。「どうせ近いうちに引っ越すしなぁ」という思いもあって放置しがちだ。だが、今日は生産性の無い一日に本気で嫌気がさして部屋掃除を敢行した。1K部屋だけでなく、風呂、廊下、トイレまで一気に掃除をした。ついでに煙草に関するグッズはひとまとめにしていつでも捨てられるようにした。ライターが数十個見つかった。

今日は部屋掃除以外に何もできなかったのだが、それでもとても気分が良い。部屋掃除はできたし禁煙は続いている。生産性が皆無であること以外は有意義な一日だった。こうした気分で毎日を終えたいものだ。

会社にはやる気の出ない言い訳をクダクダ言っているが、これがいつまで持つかは分からない。流石にそろそろ仕事をやらないとマズイのではないかという気がしている。部屋の掃除ができたので、そちら方面へのやる気も出ることを明日は期待したい。

ここ数週間ほどは無力感に苛まれていた。おおよそ「自分は何をしてもダメだ……というか何もやる気になれない……」といった気分である。ところが、ちょっと掃除をしただけで気分爽快、「俺はやれる! 部屋もキレイにできた!」と自己肯定感がとても高い。やればできるのだ。部屋を掃除することだってできる。仕事や他の作業ができないなんてことはないだろう。

部屋の掃除をすれば気分が良くなることは分かっている。けれども、無力感に苛まれている時は部屋の掃除すらやる気になれないから自分でも不思議に感じる。「部屋の掃除をすれば気分が良くなるんだけどな~……でもまあいいか……寝てしまおう」みたいに1日1日が過ぎ去っていく。頭で理解していても、心の準備が整ってないとできないのが部屋の掃除なのだ。自分の中で何かが一段落したのかもしれない。

規則正しい生活、整理整頓された部屋、健康的な食事、適度な運動……どれも達成できていないが、せめて達成できないなりに楽しい日々を送りたいものだ。

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