「語られたこと」より「語られなかったこと」
真実は「語られたこと」ではなく、
「語られなかったこと」にある。
最近殊にそう思う。
今年の11月は米大統領選が予定され、
これから情報公開(ディスクロージャー)の進展が見込まれるが、
それ自体が世論を一方向へ誘導するための
「プロパガンダ」である可能性は否めない。
そこで大切なのが、
何が「公開されたか」ではなく、
何が「公開されなかったか」。
「語られなかったこと」「公開されなかったこと」へフォーカスすることで、
これまでとは違う世界が見えてくる。
それは「背景」を洞察することに他ならない。
「余白の美」という言葉の通り、
対象を認識できるのは、
その背景たる「余白」があればこそ。
物事が現象化する前の「蓋然性」に目を向ける。
蓋然性(がいぜんせい)とは、
ある事象が実現するか否かを計る「度合い=確率」のことで、
目に見える現実を成り立たせているのは、
その背景たる「意識」や「心」の働きだ。
例えば「山」という字を目にした時、
多くの人は「富士山」や「エベレスト」をイメージするだろうが、
これが「山を張る」や「山田」ならどうだろう?
前者であれば「競馬」や「マージャン」といったギャンブル全般、
後者であれば、ヤクルトスワローズの山田哲人選手が目に浮かぶ。
何が言いたいかと言うと、
「山」という文字それ自体は、単なる「記号」に過ぎず、
それに「意味」や「価値」を与えるのは、背景としての文脈だ。
こうした考え方を、哲学の世界では「文脈主義」と言うらしい。
他には、上司から部下への声かけとして、
同じ「バカだな」という言葉でも、
【A】と【B】では、そのニュアンスが逆となる。
「表層」にしか注意を向けず、
言葉を「字義通り」受け取るだけでは、
その本質を見誤る。
背景の洞察には「抽象的思考力」が不可欠で、
抽象的思考力は「読解力」や「文書作成能力」と不可分だから、
やはり読書の習慣はあった方が無難だろう。
「霊性」という言葉をもう少し実社会に即した形で言い換えると、
「抽象的思考力の高さ」と表現できるだろう。
大局的観点から全体を俯瞰し、
「道理」や「本質」を見極める。
「抽象的思考力」と「行動力」は表裏一体、
抽象度を引き上げ、全体を俯瞰できるからこそ、
自身の役目や立場が明確に把握され、
それが結果として具体的な行動力へと結びつく。
高い抽象度から全体を包み、
「正邪」「善悪」「陰陽」はじめ、
あらゆる「二元」を統合すること。
それが「シャーマン」の役割だ。
「語られないこと」へ意識を向けることで、
「抽象的思考力=霊性」は磨かれる。
『黎明』を著した葦原瑞穂さんは、次のようにおっしゃった。
昨年末から読書を通じ、かなりの情報が集まったので、
これから順を追って発信できればと思います。
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