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「ティール」と「グリーン」の違いとは?


1.第一層と第二層

レッド
アンバー
オレンジ
グリーン
ティール

「スパイラルダイナミクス」は、意識の発達段階を「色」で区分する。

スパイラルダイナミクス
【人間の発達の八つの段階 - 知恵の森】
「https://forestofwisdom.net/8-spiral-dynamics/」より引用

意識が進化するプロセスには一定の法則性があり、上の図でも分かる通り「第一層」と「第二層」に分けられる。

第一層:生存の段階
第二層:存在の段階

「生存の段階」とは「死なないために」生きること
「存在の段階」とは「使命のために」生きること

生存を目的とする「第一層」の特徴は、何と言っても「ジャッジ」だろう。

善悪
正邪
良否
真偽
etc…

正しいのか、間違っているのか
合っているのか、誤っているのか

「第一層」の段階は唯一無二の「正解」を求め、「悪」や「間違い」を徹底的に排除する。

各々が「自分の正義」を押し通そうと躍起になり、争いや対立がおさまらない。

他者を否定し、自らが「生き残る」のを第一義とする世界。

では、「第二層」はどうだろう?

こちらは「生きる目的」が根本的に違ってくる。

第二層がフォーカスするのは「自分自身」。

「実存的自己」と言い換えてもいいだろう。

あらゆる「仮面」をはぎ取った「純粋な自己」とは何だろう?

私達は日頃、様々な「仮面」をつけて生きている。

父親としての仮面
母親としての仮面
子どもとしての仮面
会社員としての仮面
ボランティアとしての仮面
消費者としての仮面
etc…

挙げたらキリがないほど、私達は日々さまざまな「役」を担っている。

けれども、そのどれもが「本物の私」ではない。

私は医者です
私は教師です

「職業」を自身のアイデンティティと結びつける人は多くいる。

しかし、職業は職業でしかなく、それは「私という本体」に課せられた役割の一つに過ぎない。

実存的自己

あらゆる役割を取り払った後に残る「純粋な自己」として、ただ在り続けること。

それが「第二層」の段階だ。

ここまでくると「第一層」で見られたような、「ジャッジ」や「批判」はしなくなる。

心の闇や痛みやトラウマ等々・・・

第二層はそうした「不都合な事実」も、自分の大事な一要素として包み込む。

「実相の世界」や「真実の世界」に「善悪はない」と悟り切る。

そのため「第二層」へ至るには、スピリチュアルな感性が求められる。

善も悪も
光も闇も
清も濁も

あらゆる要素を受け入れた上で、包括的に世界を見る。

それは「立体的ビジョン」と言えるだろう。

「第一層」の段階は「2次元的な視野」しかない。

だから例えば、「風車が右回りか左回りか」でケンカする。

私が風車を「右回り」と認識しても、風車を挟んで反対側にいる人は、それを「左回り」と見るだろう。

それが「第一層」は分からない。

「目に映るものが全て」という認識の下、自分の意見と合わないものは「敵」とみなし排除する。

第二層は「立体的ビジョン」の下、あらゆる角度からものを見る。

そこにジャッジはなく「風車が回っている」という、ありのままを見るだけだ。

第一層と第二層では「次元が違う」と言えるだろう。

そもそも、立っている土俵が違うのだ。

しかしながら「グリーン」と「ティール」は、わりと混同されやすい。

「グリーン」は第一層の最高峰ではあるものの、「ティール」とは全く別物だ。

「グリーン」の段階に至ると初期のスピリチュアリティが芽生えるので、「ティール」との区分が曖昧になる節がある。

「グリーン」と「ティール」の明確な違いとは何だろう?

その定義と見分け方について見てみよう。


2.価値の差異化

「第二層」はジャッジしない。

「闇」や「痛み」を受け入れることで、善悪による二元性を超越する。

実はこうした特徴は、第一層における「グリーン」の中にも見受けられる。

「グリーン」のパラダイムは、一言で言うと「家族」。

組織を「家族」と見なすことで、血の通った交流や人間的な温かみを重視する。

批判やジャッジを控え、相手の意見を受け入れる。

第二層に見られる特徴の一部が、「グリーン」の中にも見受けられる。

こうしたことから「ティール」と「グリーン」は混同されやすく、両者は見分けが難しい。

決定的な違いは「価値の差異化」にあるだろう。

ジャッジせず、相手の言い分を受け入れる。

ここまでは「ティール」も「グリーン」も全く同じ。

両者の違いはここから先で、「グリーン」は相手の言い分を受け入れるだけで終わるのに対し、「ティール」は各々の価値を見極めた上で差異化する。

言い換えると、

「グリーン」の原則はあらゆる意見を「平等に」扱うことにあり、そのためコンセンサスを得るのが極めて難しいのに対し、

「ティール」は一度全ての意見を受け入れるものの、その中から最良のひとつを選び出すため、各々の価値を差異化する。

全ての意見を「平等に」扱う場合、当たり前だが「満場一致」でなければコンセンサスは得られない。

そのため「平等」というスローガンは素晴らしいものの、意見の集約が図れず空中分解するケースが「グリーン」では多く見受けられる。

これが「ティール」になると、あらゆる意見を受け入れた上で各々の価値を差異化し、そこから最良の一つを選び出すため実行力に富んでいる。

率直に言うと「ティール」の場合、それぞれの意見に「価値の優劣」を付けるので、「差異化」ではなく「差別化」と書く方が適切かもしれないが、「善悪を超越する」という第二層の特徴を踏まえ、ここでは「差異化」を使いたい。

こうしてみると「グリーン」と「ティール」の違いが、より明確に分かるだろう。

グリーン:平等
ティール:差異化

言い換えると、

「グリーン」は「平等」という「横軸」にフォーカスするのに対し、

「ティール」は「価値の差異化」をはじめとする「縦軸」を重視する。

「ティール」に見られるこの「縦軸」を、『インテグラル心理学』を著したケン・ウィルバーは「存在論的階層構造」と述べている。

『インテグラル心理学』ケン・ウィルバー著(日本能率協会マネジメントセンター)
【インテグラル心理学〜読みはじめ〜 | career∞infinity 】
「https://ameblo.jp/career-infinity8/entry-12698346487.html」より引用

この宇宙はそもそも「階層構造」に拠っている。

3次元、4次元、5次元…といった「次元」の存在が、その何よりの証だろう。

「ビッグ・バン」により宇宙が生まれた当初から横たわる「仕組みとしての」階層構造。

その意味でウィルバーは、この宇宙に原初の頃から内在する階層構造を「存在論的階層構造」と呼んでいる。

この宇宙に階層構造がある以上、あらゆる意見に「エネルギーの高低」があるのは当然だ。

例えば次の問いに、あなたどう答えるか?

「ナチスが支配する全体主義社会」と「縄文時代のような争いのない社会」
あなたはどちらの社会に住みたいですか?

99.9%の人が「縄文のような社会」と答えるだろう。

けれども、極めて物好きな人が「ナチスのような社会」と答えても、それは決して「間違い」ではない。

「ナチスのような社会」の方が好きであっても、それはそれでOKだ。

しかし「エネルギー的な」区分として、「ナチスのような社会」よりも「縄文のような社会」の方が、上位に位置するのもまた事実。

「存在論的階層構造」において「ナチス」より「縄文」の方が、上にあるのは確かだろう。

第二層の「ティール」は、そうした「質的な」区分を重視する。

どんな意見も受け入れられるべきで、
どんな意見も間違いではない。

けれども、各々の間に「エネルギーの高低」や「質の優劣」は、厳然として存在する。

その事実を「ティール」は正面から受け入れる。

しかし「グリーン」は、そうではない。

グリーンのドグマは「平等」だ。

だから「ティール」の重視する「階層構造」を否定する。

それが宇宙の構造に根差すものであったとしても、平等を是とずる「グリーン」にとって階層・高低・優劣といった「差別化」は、受け入れられるものではない。

その意味で「自らの主義を唯一無二の正解」として、他を排斥する点において「グリーン」は未だ「第一層」に終始する。

「ティール」には質の優劣は認めるものの、他を排斥する動きは見られない。

これが「グリーン」と「ティール」の決定的な違いだろう。


3.フラットランドと階層構造

「グリーン」の平等主義的な在り方を、先述のウィルバーは「フラットランド」と呼んでいる。

その名の通り質の優劣を一切認めず、あらゆる意見を均質な2次元平面へとたたみ込む。

よく考えてみると、これは非常に怖いことだと分かるだろう。

先に挙げた例に照らすと「ナチス」と「縄文」に同じ評価を与え、平等に扱わねばならなくなる。

その先に待っているのは「調和」ではなく「カオス」だろう。

あらゆる意見を平等に扱うと、そこにはもはや「主義」も「信念」も「軸」もなく、待っているのは秩序の崩壊と虚無だけだ。

フラットランドの悪夢

それを回避するには「存在論的階層構造」の認知より他にないだろう。

「立体的ビジョン」を有する第二層の段階において、「階層」の認知は欠かせない。

ジャッジを伴わない第二層にとって、「階層構造」はその行く先を示す「羅針盤」となるだろう。

勝ったとか、負けたとか、
成功したとか、失敗したとか、

結果をジャッジしない以上、もはや外に敵は存在せず、目指すのは少しでも上の次元へと意識を上げるだけとなる。

そのため「ティール」にとって階層の認知は、不可欠な要素となっている。

「至高の価値」とは何か。

そのビジョンや理想に向かって邁進する。

「実存的自己」が求める「至高の価値」とは何だろう?

その問いかけが「第二層」へ至るための「はじめの一歩」となるだろう。

あらゆる「仮面」をはぎ取った時、
「役割」や「肩書」を取り去った時、

最後に残る「純粋な自己」は、一体何を求めるか?

「神性」を体現する第二層への飛躍が、人類に課せられた壮大なテーマとして今、上(宇宙)からつきつけられている。

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