日記と短歌 5/29

短歌の話じゃないと思ったら短歌の話、みたいな文章を書きたいし、短歌じゃないと思ったら短歌、みたいな歌は好き。(そして今回は失敗。)

という思いを強めたのは、ちょっと前に買った『ネヲ』の3号を読んだからだった。
歌人が詩歌以外の事柄からの視点で詩歌についても書いた文章 が載ってる同人誌的な本。1号と2号は持ってないけどいつか欲しい。

目次でもう嬉しい

みんな自分の好きなもののことを話しながら短歌のことも同時に(ときに諷喩的に)話せていて面白い。というか、多くの“趣味”において人の付き纏いかたとかお金の動き方が相似になっているせいで結果としていちいち比喩っぽくなるって感じだ。

そういえば先週の歌会のお題は「長い比喩を使う」だった。難しかった。
この手の話になったとき「〈提喩〉と〈換喩〉、覚えたい。」といつも思うので、ググって、メモしておいた。諷喩はシニカルで面白いので昔覚えた。
とはいえ直喩と隠喩を今でも間違えたりするので世話がない。

「〇〇性」とか「〇〇的」って言葉が便利すぎて警戒してしまう。「暴力性がある」だとか「暴力的だ」とかいうなら、むしろちゃんと「暴力だ」と言いたい。隠喩をちゃんとやりたい。
その上で、「AはBだ」って命題を生んでしまうことへの勇気が持てない、というよりは発話のときの語調とか馴染みの問題でそれができてない気がする。自分の体感にすぎないが。
リズムから逃れるのは想像以上に難しい。

【長い比喩歌会】に出した僕の歌は比喩の方はいいとして韻律で失敗した(というか個人的に嫌いだった)ので悲しかった。
この前は夢の中で「存生性」と「超党時代」という新単語が出てきて、おおっ と思ったけど、よく見たらちょうど頭悪そうで萎えた。

日本晴れ 比喩としてしか爆弾を知らない世代として駆け抜ける
/中澤詩風「旅へ」『京大短歌28号』

この歌好きだったなー。駆け抜けたい。
韻律を無視できる最速の比喩が〈掛詞〉だったりしないかななんてちらっと考えたけど別に比喩ってわけではないもんなあー。

んなとこで献花すんなよ悪ガキがわさビーフ薔薇盛りにしやがる/小池耕

もちろん疾いから良いというわけでもないし。

ん?「駆け抜け」た先もあるのか。そっか。。

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