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こいけこ
2024年4月9日 18:59
前回↓◇第6回 耕→六 前回は「他人依存の充足と絶対的な自己充足」という対比を用いながら家の話に入っていた。僕の考えでは自分にとっての理想、期待、欲望、充足はある意味では「絶対的に一つ」であはるけれど、ある意味ではいくつもの位相の自分において存在するし、第1回の福田の言葉を借りるなら、小池耕は何人もいる。と断ったうえで、「家」に対する福田の捉え方には概ね同意する。『PERFECT DA
2024年4月2日 20:47
前回↓◇第5回 六→耕 第五回。ようやく話題が散ってきた感があって、かえって安心している。「真に受ける加減を適当に調節してほしい」だなんて言い訳はしなくてよろしいから、好きなように脱線したらいいし断言したらいい。二叉路に脱力と推敲の極があるとしたら僕が後者で[1]、真に受けたいところを受けて饒舌になるのだから、いずれにせよ恰好はつく。 「碌でもなさ」の「総じて」について、僕が言おう
2024年3月26日 18:15
前回↓◇第4回 耕→六 第四回。ここまでで感じたことを一つ言うと、「二叉路」の形式は福田にとって動きやすい反面、僕は少々ぎこちなくなってしまうような感触がある。簡単に言ってしまえば得意不得意の問題で、例えば対面でこの二人が喋るとき、その割合は福田8小池2くらいになりがちだ。それに対してこの往復書簡は、制約は緩いもののある程度福田と同じ量を返すことになっている。となると僕はいつもとはだいぶ
2024年3月19日 17:15
前回↓◇第3回 六→耕 明確な応答から始めよう。まず、僕を「作家として、友人として」「分割してみることはピンと来ないからしない」という見方について。僕はそれに同意し、さらに、僕は作家ではないという立場を示したいと思う。 僕は今のところ、作家というアイコンを特別視していない。それは「作品」というものがピンと来ず、短歌を主に作品としてではなくテクストとして捉えているからだ。テクストすな
2024年3月5日 22:08
まえがき福田六個と小池耕の二人で「二叉路」というnoteの連載を始めます。福田と小池が交互にお互いへ向けて何かを話すという形式で、毎週火曜日、全10往復(20回)くらいを目安に連載する予定です。短歌の話は必ずしも含まれませんし、話がどう転がっていくのか、二人とも分かりません。ただ話したいことを話します。第一回は福田六個から小池耕に向けて。◇第1回 六→耕 往復書簡、第一回目
2024年3月12日 19:28
前回↓◇第2回 耕→六 福田は第一回で僕の「みんな野球」の歌を皮切りに僕について話してくれた。「二叉路」の形式は福田も言った通り「ラブレター」でも「作品」でもない。ましてや「エアリプ」でも「試合」でもない。路地裏で二人がキャッチボールをしている映像を街なかのスクリーンに流すようなものだ。目を見てボールを投げ返す。 話題の「2024年の抱負」はこれのこと。上記事では「冴えない彼