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韓国映画『アドリブ・ナイト』

 街で知らない人から突然声をかけられ、誰かと間違われた経験は、多くの人が一度や二度はあるだろう。

 だが、10年前に家出した娘のフリをして、危篤状態の父に会ってほしいと懇願されたら? 普通なら相手にしないだろうが、今作のヒロインは渋々ながらも引き受けてしまう。

 ヒロインのポギョンは、大都市ソウルに生きる孤独な若者を象徴した人物である。常に歯ブラシなどの「外泊セット」を持ち歩き、根無草のように生きている。

 そんな彼女が連れて行かれたのは、危篤状態の父がいるという、農村の大きな屋敷。父の死を待ち構えている親類縁者たちの前に、ポギョンが現れたことで緊張感が走る。赤の他人を娘だと偽ることに意見が分かれる中、ポギョンに瓜二つだという家出少女ミョンウンの輪郭が見えてくる。

 ミョンウンはなぜ、故郷を捨てたのか。村人たちの人間関係を見ていると、わかるような気がする。血は水より濃いというが、韓国は日本以上だ。

 故郷を否定すると同時に、自由の象徴であるミョンウンは、ここではアンタッチャブルな存在だ。村人たちの彼女に対する愛憎を背中に感じながら、深夜の村を散歩するポギョン。屋敷に戻ると、父はすでに息を引き取っていた。様々な思惑を抱えた親類縁者たちが、急に姿勢を正して嗚咽しているのがおかしい。

 ポギョンが父の枕元に座り、耳元でそっと囁く。何を言ったか観客にはわからないが、その姿はまさしく実の娘そのものだ。

 ポギョンはなぜミョンウンを演じたのか。目の前に横たわる、見知らぬ男のためではない。ミョンウンを演じきることで、新たな自分に生まれ変わりたかったのだと思う。他人の死を再生のための通過儀礼にしていいのかという疑問は、ここでは野暮だろう。

 ソウルへ戻る車の中で、ポギョンは夜明けを迎える。朝日に照らされた横顔からは、清々しさが感じられた。

 人は何度でも生まれ変わることができる。きっかけと、ほんの少しの勇気さえあれば。そんなことを気づかせてくれた映画だった。


『キネマ旬報』読者の映画評 2022年8月下旬号 掲載

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