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韓国映画『私は私を破壊する権利がある』

 自殺者のニュースが後を絶たないのは、日本も韓国も同じである。貧困、格差、コロナ禍による断絶など理由は様々だが、死が唯一の救済になってしまう現状を変えない限り、自殺者が減ることはないだろう。

 本作の内容は、タイトルの通りである。自殺請負人のSは、自殺を「人生の休息」と肯定的に捉え、ネットで自殺志願者を募っては、「休息」へ向かう手助けをしている。

 彼の元には様々な事情を抱えた者たちが集う。前衛芸術家のマラは、自分が思い描く理想のパフォーマンスを求めて。水商売の女セヨンは、貧困や暴力から逃れるためだ。

 女たちが甘美な死を選ぶのとは対称的に、男たちは生に固執し足掻いている。

 「生きててもつまらないから」と語る18歳の少年は、Sの元を訪れた帰り、不良たちにリンチされる。皮肉にも初めて死の恐怖と生への渇望が芽生えるが、その直後交通事故で無残な死を遂げる。あまりにも突然の死は「自殺という崇高な手段に値しない」という監督のメッセージのように感じた。

 今作の理念は反社会的で理解し難いが、唯一共感できたのが、セヨンの恋人トンシクの存在だ。Sの理念に共鳴しない彼は、世俗を象徴する人物である。母親の葬式にも出ない冷たい男だが、悲惨な境遇のセヨンを救い出した優しい面もある。突然行方をくらましたセヨンを必死で探し、Sに「なぜ彼女を殺したのか?」と詰め寄る場面は、人間らしさに満ちている。

映画冒頭のトンシクとセヨンのベッドシーンは一見暴力的だが、映画を最後まで見た後改めて見直すと印象がまったく変わる。終始アンニュイな空気が流れる本作において、狂おしいほどの想いを相手にぶつける稀有なシーンである。

 残された者は、喪失感を抱えたまま生きていくしかない。苦しみから逃れる方法に「自殺」が用意されている社会は、あまりに歪だ。映画を最後まで見ても、監督の意図に反した感想を抱かずにはいられなかったが、それだけ韓国社会に救済が必要なことは伝わってきた。


『キネマ旬報』読者の映画評 2022年12月上旬特別号 掲載

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