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韓国映画『殺されたミンジュ』

 「殺されたミンジュ」のミンジュとは何か。映画冒頭で何者かによって殺された少女の名前だが、韓国語で民主主義を意味する言葉でもあるという。常に体制に対する怒りを描いてきたキム・ギドク監督だが、「殺された民主主義」に対する怒りが今作ほどストレートに伝わってくるのも珍しい。

 プロのカメラマンを使わず、監督自らが撮影するスタイルは、正直洗練された映像とは言い難い。その分隣人の事情を盗み見ているような臨場感がある。

 少女の父親は復讐のために、ネットで仲間を募る。彼らに軍服を与え、犯人を一人一人炙り出し、アジトで拷問していく。見ているうちに、この父親が果たして正義の側なのかわからなくなってくる。

 被害者と加害者。弱者と強者。善と悪。男と女。さまざまな二項対立の中で、私たちは考えことをやめてしまいがちだ。多種多様な価値観を認め合うよりも、相手はこうだと決めつける方が楽だからだ。

 ネットで集まった彼らは無職やフリーター、DV被害の女など、悲惨な境遇の者ばかり。堂々と暴力を振るえる理由が欲しいだけの彼らは、飽きるのも早い。希薄な人間関係は今の社会の縮図でもある。

 今作は俳優のキム・ヨンミンが一人八役演じたことが、大きな意味を持つ。ミンジュを殺した側の男や、父親に救いの手を差し伸べる僧侶など、さまざまな階層の人物を演じている。監督はパンフレットの中で「黒も白も同じ色なのだ」と語る。善も悪も一人の人間が演じることに、監督が伝えたいメッセージが込められている。

 ところで、民主主義とは何かを問うたキム・ギドク監督が、近年撮影中の女優に対する暴行で訴えられ、事実上の国外追放になったのはご存じだろうか。この事実を知っているか否かで、今作に対する見方は180度変わる。

 日本でも撮影現場における性暴力が問題になったのは、ここ数年の話だ。黙認することが民主主義の死を意味するなら、民主主義を殺しているのは国家権力だけではない。表現する側や、享受する側である私たち自身なのだというメッセージに繋がるのはなんとも皮肉である。


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