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韓国映画『マドンナ』

 「生きづらさ」を抱えた登場人物が、最後に自分を解放させる映画が私は好きだ。自分で考え行動する、その過程が愛おしい。

 「マドンナ」の異名を持つ街娼のミナと、看護師としてVIP専用病棟で働くヘリム。今作はこの二人の女性に焦点を当て、韓国社会における女性の「生きづらさ」をあぶり出す。

 なんの共通点もない二人を繋ぐのは、病院の会長の息子サンウである。彼は老衰で今にも亡くなりそうな父を延命するために、新鮮な臓器を入手するべく画策する。

 そこへ男たちに陵辱されて意識不明の妊婦が緊急搬送されてきた。この女こそミナだ。ヘリムは、お腹の子の命だけでも救いたいと願うが、サンウが妨害を企てる。

 貧困、暴力、セクハラ、レイプ、売春‥‥女性にまつわる全ての不幸が、ミナ1人におそいかかる展開は、目を背けたくなるほどだ。太っていて、貧しく学歴もないミナは、周囲の嘲笑と蔑みから身を守るため、派手な服を身にまとう。

「マドンナ」のあだ名の由来は、胸が大きいからだという。たくさんあるひどいあだ名の中で、これが一番まともだと笑うミナの姿は、性的に消費されることが当たり前になってしまっている今日の我々の姿と重なる。

 ラスト、ヘリムがとった「ある行動」によって、お腹の子は救われ、ヘリム自身の魂をも解放させる。

 同時にサンウは「父の延命」という呪縛から解き放たれる。度重なる延命措置は、自分を愛してくれなかった父に対する復讐だったのではないか。サンウが父の亡骸をかき抱いて泣くシーンは感動的だ。

 未来を感じさせるラストだが、疑問も生じた。命を繋ぐ役割を、女性だけに課しすぎてはいないだろうか。今作に限らず、女性はどうしても作品の中で「命を繋ぐ性」として描かれがちだ。

 男たちから虐げられてきたミナが自分の命を投げ打ってでも命のバトンを渡そうとする描き方は、美しさよりも母性神話に囚われていると感じてしまった。


『キネマ旬報』2022年5月上・下旬合併号
読者の映画評 掲載

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