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お城へ To Go (津和野城)

 山陰の小京都の城郭、津和野城(66・島根)です。押印は平成29年7月22日、リフト茶屋にて押しました。友人たちとの長州藩の歴史見学の一環として、立ち寄りました。
 訪問時は、天候悪化のしつつある夕刻で、リフトの営業時間を早めて、終了してしまうそうになっており急いで見学しました。我々の少し後に、営業時間内なのにリフト終業となってしまい、外人さんが残念そうに帰っていったのが印象に残っています。また、友人が自販機でペットボトルのお茶を買ったら、何本も出てきてしまい、焦ったのも良い思い出です(笑)

 もともとは元寇の際に築かれた山城で、対外戦争を想定して険しい山に建てられましたが、吉見頼行の地頭赴任とともに居城となります。このときが三本松城と称され、その後、坂崎氏により津和野城として完成しました。その後、亀井氏による改修され、明治の廃城令により解体され、現在に至ります。石垣のみが現存の状態となります。城下町との比高が200mあり、約5分ほどのリフトで上がることになります。そこからさらに尾根筋を歩いて出丸、本城に至ります。近世城郭として整備されたときには、三重天守をはじめ多くの櫓があったとされますが、落雷にて焼失し、その後は再建されなかったようです。

 津和野で亀井氏なので、亀井静香との関連があるのかと思い、調べてみたところ、亀井久興、亜紀子がこの直系のようで、静香は傍流にあたるようです(WIKIによる)。いずれにせよ、このころからの流れが政治家に必要なようですね。現代の政治を見るのにも城はちょっと参考になるのです(笑)

 三本松城から大改修して津和野城とした坂崎直盛ですが、千姫を強奪しようとした千姫事件で有名です。大坂の陣で千姫を救出した直盛ですが、この千姫強奪が露見します。これは横恋慕のためともいわれたりしますが、千姫の別の縁談を進めていた坂崎のメンツがつぶされたことによる、とする説が有力なようです。
 いずれにせよ坂崎氏は取り潰しとなり、以後幕末まで亀井氏の時代が続きます。この流れは、なんとも不可解な事件なのですが、大阪の陣に絡む出来事ですので、相当いろいろと内部事情があったことがうかがわれますね。城めぐりしなければ、あまり調べてもみなかった事件です。

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配信元:裏辺研究所

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