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お城へTo Go(箕輪城)

 しばらく西日本の城郭が多かったので、関東・東北の城郭をしばらくご紹介していきましょう!

 かつて群馬に住んでいたころ、何度も近くまで来ていたにもかかわらず、関心がなかったため箕輪城も一度も訪れてはいませんでした。(今でも関心のない人にとっては同じでしょうね)ちなみに近郊には群馬県群馬郡群馬町という「トリプル群馬」というスゴイところがありました。
 何事も関心があるかないかとは、恐ろしいもので、一度関心を持つと、そればかりが目に入り、今では旅行の際には城しか目に入りません(笑)

 箕輪城(16・群馬)は長野氏により築城され、近年評価の高い「上州の黄斑」長野業政の城として有名な城です。
 業政には、「長野十六槍」という豪勇の配下があり、その一人がかの新陰流創始者、剣聖「上泉伊勢守信綱」であり、近隣の武田信玄も恐れをなして業政存命中は攻め入ることがなかった、という名城です。
 何度か訪れているのですが、スタンプ(当時は御前曲輪の手前の設置箱にありました)押印は平成21年4月21日でした。

 山城など一般に城好きの「城」にはいわゆる「天守」はなく、城の楽しみ方がわからないうちは、城なのかただの山なのか(笑)わからないことも珍しくありません。それでも、この城は、規模も壮大で、曲輪や堀切が大変大きく、山城初心者にはとくにおすすめです。一見、自然の山や谷のように見えるものでも、これが戦国の人々による人工と分かるとその驚きもひとしおです。最近特に整備が進んでいます。

 またここは、剣聖上泉伊勢守のゆかりの地でもあるので、研修医が終わったばかりの頃、上泉伊勢守の墓所の近くにわざわざ(病院から少し遠かったのですが)住んでいた者からすると感無量です。新陰流のその後の隆盛を考えると、創始者である信綱の教育者としてのすごさにも感銘を受けております。

 現在は駐車場もきれいに整備され、大変見やすい城である上に、堀切のすごさを知るにはもってこいの城です。
 また武田の攻城により落城し、長野一族は御前曲輪で自刃と伝えられており、曲輪に今も残る井戸(昭和2年発見)は独特の雰囲気を漂わせております。ちなみにどんより曇った日にこの井戸を撮影した際には、いろいろと写りました・・・(*_*)

 歴史的には秀吉の小田原平定後、井伊直政が入城しますが、やはり戦国の山城に住む時代ではなかったのか、8年後にはより交通の便の良い平地、高崎城に居城を移し、廃城となりました。それ以降、今日に至る高崎の反映が始まっていくのです。

お城のカード 登城記念カード 箕輪城画像

お城のカード 登城記念カード 箕輪城
鍬匠甲冑屋オリジナル

配信元:裏辺研究所

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