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お城へ To Go (今治城)

 藤堂高虎考案の新式五重天守、今治城(79・愛媛)です。押印は平成22年12月9日です。今治城はこれまでに2度ほど行っております。海城なのですが、堀は広いものの街中にあるので、あまりそのような印象はありませんね。でも堀の水は海水だそうですから海城なのです。
 二度目の訪問時、しまなみ海道から車で行ったのですが、今度は是非、自転車で挑戦したいものです。

 今治城は、藤堂高虎が関ケ原の功績により、国分山城に入城した後、瀬戸内海の制海権を考慮して、海辺に新たに築城されました。
 河口付近に位置するため、海路、水路ともに押さえ水陸の要衝の地となりました。瀬戸内から吹き上げられた海砂を集めて築城されたことから「吹揚城」とも称されます。

 ただ高虎は完成直後に伊勢・伊賀に国替えとなってしまうのですが、その後も今治2万石は飛び地として領有を認められます。城としてはやはり高虎の城で、城内には馬に乗った高虎の銅像もあるので、その印象が強いですね。かなり大柄なひとだったようです。
 移封後は養子の高吉を城代としておいたのですが、その高吉も伊賀へ移った後は、松平が入城し、明治に至ります。

 今治の天守についてはいろいろと謎があり、天守完成後に伊賀への国替えの際、伊賀上野城への移築を目的に短期間で解体されたといいます。
 しかしその後、家康の命により丹波亀山城の天下普請として献上され、結果、亀山城の天守となったようです。天守建造において高虎ブランドが当時からあったようですね。でも現在、今治城には天守台がないことから、そもそも天守はなかったとする説もあり、真相は分かっておりません。
 そんな中で昭和55年に、現在の模擬天守が建造されました。本丸の跡は、現在では吹揚神社となっています。

 一度目はここから大洲城へと向かいましたが、二度目の訪問時は、しまなみ海道から入って今治に泊まり、夜は「健寿司」さんで瀬戸内の海の幸を堪能しました。とても親切にして頂き、後日、ミカンを箱で送って頂きました。とても思い出深いお寿司屋さんでした。

今治城の謎―藤堂高虎・藤堂高吉・久松松平家と今治城画像

今治城の謎―藤堂高虎・藤堂高吉・久松松平家と今治城
土井中照 第一印刷(今治) 2003-11T

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配信元:裏辺研究所

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