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家族の像は当たり前じゃなくていい

先日職場でキャリアに関する面談があって、これからどうするとか、どうなりたいとか、そんな話を上司としていた。今回の面談は特別コース?らしく、自分の人生観や価値観を振り返って、そのうえで人生をまるっと仕事も含めて考えてみようという、上司と気ごころ知れていなかったらお通夜になりそうな構成になっていた。幸い自分は上司と親しくしていたので、わりと思うままに面談準備をした。

自分の歴史を振り返るのは、年を重ねるほど面倒で、あまり気持ちいい物でもない。年次が進めば進むほど何ができるようになったか聞かれるし、何の役に立つのか測られる。あなたのキャリアプランを教えて、と言われたときの解として、「昨日は花屋になりたかったのですが、昨夜星が美しかったので今日は宇宙飛行士になろうと思っています!」みたいなジャンプはあり得ない。あれはなし、これも無理、としているうちに、脳内フィルタリングで絞られた想定内の選択肢。まあ許されるだろう、という案を手に取るのがいつもの私である。

とはいえ今日は特別コースなので、ポストイットに幼少期からの想いでや、良くも悪くも自分の価値形成に貢献したであろうイベントを書き連ねることになった。(そういうワークショップらしい)私は大した人生は送っていないが、人と比べて少数派らしい要素は多少ある。母親との関係性だ。

うちの母親は、言うなれば「平家の姫君」という感じだった。わがままで、支配的で、憎めない愛嬌がある。最近こそ関係が改善して、お茶目で少し風変りで親切な母という感覚で向き合えているが、ここ数年までは母=地雷だった。
母からのラインのメッセージは「もっと読む」常習犯だったし、自分と意見が違うと「そんな子じゃなかった」「あなたは間違っている、信じられない」「じゃあ私はどうすればいいの?お母さんを見放すの?」「もう無理、あなたがいないと生きていけない」というようなことを平気で日常的に言う母親だった。

ちょっと振り返るのがしんどいのでこの辺にしておくが、ただ私の母親の場合は、娘のことを愛している気持ちも強い人だった。自分のことを愛する気持ちが強いのは記載の通りだが、それでも、母として娘を大切にする気持ちは本物だと信じることができる人だった。母はただ、何か自分の手に追い切れないような課題、自分自身に対するアイデンティティを娘とまぜこぜにし過ぎて、スパゲッティになって悩み苦しむ人間に見えていた。口にしている言葉は、本当だが本当ではない。彼女が本当に望むことではないと、子供ながらに思っていた。
 だから、私は彼女との関係を諦めたくなかった。何年、それこそ戦いは学生時代から続いたが、この母と分かりあうことを諦めずに、対話して、喧嘩して、対話して、泣いて、対話して、対話した。
 私はあなたと違うこと。あなたは私がいなくても価値があること。あなたの価値観を尊重することと、私の価値観を尊重することは両立できること。あなたはあなたの人生を生きて、私は私の人生を生きて良いこと。あなたは自由であり、誰かをメリットなしに愛す力のある人であること。

一度伝えて、分かったと言われて、次の日にまた同じことを言う。本当に愕然として、落ち込んだ時も何度もあった。分かりあえた次の日に、また同じことを繰り返して、もう無理かもしれないと思う日もあった。ただ、自分はこの人なら分かるはずだと何故か思っていた。人は成長できる。自分の成長を信じるなら、この人も変化し成長することができると信じて語り続けた。身近な娘と食い違う苦しみは、きっと強い物だっただろうが、母もきっと沢山悩み内省を繰り返したのだろうか。だんだんと客観的に自分自身を見つめるようになった。


そうしてある日、夢から覚めたように爽やかな風が吹いた。母親が自分の人生を楽しそうに生き始め、私の人生と選択を尊重し、携帯が静かになった。
私の母戦記はこうして、突然終わったのだった。


母親との関係、家族との関係は、型通りなものなどない。誰と比べる必要もなく、ただ、あなたのその目の前にいる人間がどういう人なのかを見極めて、自分がやりたい選択をするだけだ。

その人、一人一人のオリジナルの家族像の中で生きている。分からなくてもいいし、理解できなくてもいいから、誰かを否定せず、自分の中の歴史を大切に出来ればいいなと思う。



おわり




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